本日はまめたが担当させていただきます。
新しい年を迎えるとともに、新たな気持ちで今年1年を過ごそうとしているのは私だけであろうか?「でもいっつも最初だけで続かないんだろうな~」とうっすら感じているのも私だけであろうか?
「いやいや、自分は意志の弱い人間ではない」という方はどうぞ読み飛ばしていただきたい。このテーマは強い意志を持たない人間(つまり私のような人間)に読んでもらいたい内容である。
内発的動機付けと外発的動機付け
皆さんも『内発的動機付け』と『外発的動機付け』という言葉を聞いたことがあると思う。『内発的動機付け』とは、その人の内側から行動が促されることであり、『外発的動機付け』とはその人の外側(お金など)から行動が促されることであると私は理解している。
この2種類の動機付けであるが、私はどちらかというと外発的動機付けによって行動するタイプであると自分で感じている。上司から良い評価を得るために頑張ろう、患者さんから「この人にリハビリしてもらっても良くならないな」と思われたくないがために勉強している(最近は勉強できていないことが多々あるが…)。
しかし、継続することは外発的動機付けタイプの人間には難しい。理由はそのことに対しての本質的な興味が薄いからである。本質的な興味とは、筋肉の機能解剖を勉強すること自体が楽しい、呼吸・循環の生理学を理解することそのものが楽しい、ということである。では、私のような外発的動機付けタイプの人間は継続することを諦めた方が良いのだろうか?
外発的動機付けタイプが継続するには
外発的動機付けタイプだからといって諦める必要はない。少なくとも私はそう思う。ただし、“自分が動くべき動機”があればではあるが。私の場合は、2つある。
1つ目は、責任感である。「目の前に困っている人がいる。だから、どうにかしたいと勉強する。」これはかっこよすぎるので私にはとても言えないが、自分が担当している患者さんがちょっとでも良くなればと思ったりはする。
2つ目は、危機感である。自分より短い経験年数のスタッフに伝えることがないというのは恥ずかしい、担当している患者さんに他の人に担当してほしいなどと言われなくない。このように自分を否定したくないという感情から「やばい勉強しとかないと」などと思うのである。
人間は”慣れる”生き物である
こんな私でも少しは責任感や危機感があるので、皆さんもきっとそうであろうと思って話を進める。そして、ここからが重要である。人間は良くも悪くも慣れる生き物である。何年も同じ仕事をしていると、仕事を始めた当初のがむしゃら感はどんどん薄れていく。それは、上に書いた責任感や危機感も同様で、患者さんの思いに共感したり、患者さんの思いに応えようとしたりする気持ちも薄れていく。そんなことを声に出して言うことははばかられそうであるが、私が実際そうなのだから仕方がない(私の仕事に対する感情が常に薄れているという訳ではなく相対的に薄れてきていると捉えていただきたい)。
だからといって、それが良いと思っていないのも事実であり、そんな時は刺激をもらう。1回1回のリハビリに対して真剣に向き合っているスタッフからは患者さんへの思いを、研修会を開いて少しでも自分の持っているものを人に届けようとしている講師からは理学療法の可能性を、そして理学療法士という仕事と日々向き合っている友人からは仕事に対する真摯さを。
最後に
人間は慣れる生き物である。慣れてきたと思ったら、“刺激”をもらう。そうすることで、脳が、心が、動き出すのではないだろうか。私はそうやって時々、重たい心と体に刺激を与え、明日へのモチベーションに繋げているのである。
このブログが読んでいただいた方の“刺激”になれば幸いである。
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