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ICFにおける「活動」と「参加」の違い

全理学療法士向け
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こんばんは、卵屋です。

今回はICF「活動」「参加」について深掘りする。

ICFについては以前書いた記事(現役理学療法士が教える「評価」の流れと実際5(課題・アプローチ点抽出、ICFについて))で詳しく説明した。

他にも色んなサイトでICF自体については触れている。

一方でICFの中の「活動」と「参加」については一括りにされていることが多く、その違いについて解説している記事は少ない。

病院でも「『活動と参加』の向上を目的にリハビリを…」という具合で「機能」中心のリハビリと対比する形で使われることが多く、その際もやはり「活動と参加」と一括りである。

そこで今回はあえて「活動」と「参加」の違いについて触れ、現役理学療法士がどのように考えているか独断と偏見で解説していく。

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ICFのおさらい

ICF(International Classification of Functioning, Disability and Health)とは、「国際機能分類」と訳され、「健康の構成要素に関する分類」のことを言う。

ICF の目的を一言でいえば、「“生きることの全体像”を示す“共通言語”」である。生きることの全体像を示す「生活機能モデル」を共通の考え方として、さまざまな専門分野や異なった立場の人々の間の共通理解に役立つことを目指している。(厚生労働省 資料より引用)

おそらくこの説明だけでは分からないだろう。ICFを知ろうと思うと絶対と言っていいほど前身の「IDH」を知る必要がある。

そのあたりも以前の記事を参考にどうぞ(現役理学療法士が教える「評価」の流れと実際5(課題・アプローチ点抽出、ICFについて)。

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「活動」とは

生活行為、すなわち生活上の目的をもち、一連の動作からなる、具体的な行為のこと。
これはあらゆる生活行為を含むものであり、実用歩行やその他のADL(日常生活行為)だけでなく、調理・掃除などの家事行為・職業上の行為・余暇活動(趣味やスポーツなど)に必要な行為・趣味・社会生活上必要な行為がすべてはいる。(厚生労働省 資料より引用)

医療の世界では多くの場合「基本動作」「ADL(日常生活動作)」が活動に当てはまる。

なぜなら入院している状況から「退院」するために必要な活動は「基本動作」であり「ADL」だからである。語弊のある言い方をすると「基本動作とADLが獲得できれば退院することができる」からである。

ただ、もちろん理学療法士含むリハビリ職種が考えるのはそれだけにとどまらない。家事や趣味など患者さんのQOLに関わる動作の獲得に向けても支援する。

「活動」とは「あらゆる生活行為」を含み、リハビリ職種は可能な限り広い視野で患者の生活を捉えるように訓練されている。

ちなみに、ICFでは「できるADL(能力)」と「しているADL(実行状況)」を区別することが大事だとしている。が、私は入院患者を対象とするときはこの区別にそこまでこだわらない。
なぜなら、病院でしていても自宅ではしないかもしれないし、病院でしていなくても自宅ではするかもしれないからである。それは物理環境的な要因もあれば本人の精神的要因もある。
リハビリ職種にとっての「活動」は「患者さんが自宅でできるか、するか」が最も大事であり、入院中はそれを予測して関わることが大事だと考えている。
(とは言え入院中に「しているADL」が多いほど自宅でも「しているADL」に汎化されやすいという面はあり、入院中も可能な限り「しているADL」を増やす意識は持つべき。)
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「参加」とは

家庭や社会に関与し、そこで役割を果たすことである。社会参加だけではなく、主婦として、あるいは親としての家庭内役割であるとか、働くこと、職場での役割、あるいは趣味にしても趣味の会に参加する、スポーツに参加する、地域組織のなかで役割を果す、文化的・政治的・宗教的などの集まりに参加する、などの広い範囲のものが含まれる。(厚生労働省 資料より引用)

これは凄い、この概念を「活動」と切り離して別階層に分類したのは本当に凄いことだと思う。
前身のIDHの功績によるところが大きいが、さらにこれを「参加」という文言に修正しプラス面も包括させたのも素晴らしい。
「人間にとって『障害』とは?」はたまた「人間にとって『幸せ』とは?」を追求して得られた結果だと言える。

入院患者を対象とする場合に大きく影響してくる「参加制約」は「自宅復帰困難」である。怪我や病気をしていなければ当たり前のように自宅で生活を送っていたであろう患者さんが入院しているため自宅で生活が送れないこと、これがまさに大きな「参加」レベルの「障害」である。ここを解決することが入院リハビリの一番の目的である。

 

ではでは、よく出てくる「自宅復帰困難」についてもう少し深く考えてみよう。

活動と参加の疑問

理学療法士がICFで整理するときによく使う参加の文言として「自宅復帰困難」がある。

これは現在入院しているので自宅で生活が送れないということを意味する。言葉の意味だけを追うと理解はできる。

一方、働き始めて、ICFの概念が理解できるまでは、この分類にとても違和感を持った

なぜなら、入院している患者さんの中には、

➀介護保険サービスを導入すれば強引に自宅退院できるであろう人たちが多くいたから。

また、

➁ほぼ寝たきりの状態で自宅に退院する患者さんもいたから。

前者は「自宅復帰困難」で、後者は「自宅復帰困難ではない」のはなぜ?

何だかおかしくないか、本当にこの考え方(分類の仕方)は正しいのか、そういう思いになった。

 

これを紐解いていく形で活動と参加の違いについて述べる。

活動と参加の違い

結論から言うと、活動と参加の違いは

やりがい生きがい満足感といった概念を含めるか(参加)、含めないか(活動)」の違いである。

うむ、よくわからないだろう。

ここでは「野球」という趣味を例に取り上げて考えてみる。

Aさんは休みの日に趣味で仲間と草野球をしている。交通事故に遭い足に大けがをした。なんとか懸命にリハビリをして日常生活は送れるようにはなったが、まだスポーツが出来るまでには回復していない。自分でトレーニングをしながら草野球への復帰を目指している。

こういう状況を想定してICFで目標を整理してみると、

活動 参加
ボールを投げる
バットを振る
野球をする

このように考える人が多いのではないだろうか。

 

が、私は参加の主旨を捉えた時には次のように分類するのがよいのではないかと考えている。

活動 参加
野球をする 草野球に参加する

何が言いたいかというと、

Aさんは別に野球をするという「動作」や「行為」そのものを趣味としていた訳ではなく、仲間が集まる場所に行って、「野球」というスポーツを通して、コミュニケーションを取ったり、時には活躍して認められたり、時には失敗してへこんだり、そういう楽しさも悔しさも全てを含めて趣味としてのやりがいや満足感を感じていた訳で、ただただ一人で「ボールを投げる」「バットを振る」ことが出来れば満足ということではないはずだ。

つまり、それらが楽しめるレベル(能力)になることを「活動」の目標、そしてその能力をもって実際に趣味に復帰することを「参加」の目標、と考えるのが適切な活動と参加の区別ではないだろうか。私はそのように考えている。

 

例えば、Bさんは、自身の野球のトレーニング動画を撮影し後で自分で見返して楽しむという趣味を持っていたとする。同じように怪我をしてリハビリをしている。

この場合は、

活動 参加
ボールを投げる
バットを振る
野球をする(ところを撮影する)

と分類しても良いかもしれない。

つまり同じ「野球」という趣味を持っていたとしても、どこにやりがいや楽しさ、満足感を感じているかによって活動と参加は変化するということが言いたい。

 

 

では、先述の「自宅復帰困難問題」について考えてみる。

強引にサービスを整えれば自宅復帰できるのに「自宅復帰困難」とはこれいかに、といった疑問。

やりがいや生きがい・満足感という観点を加えると違ったものが見えてはこないだろうか。

そう、ここでいう「自宅復帰困難」とは、

「(本人が納得・満足するような生活レベルでの)自宅復帰困難」という意味が含まれている。

つまりサービスを導入して強引に退院することは現実的には可能かもしれないが、本人はそれを望んでいる訳ではなく、少なくとも入院前と同じかそれに近い生活を望んでいる。(そりゃそうだ)

だからそのレベルの生活を獲得することが「活動」レベルの目標になるし、その満足感が得られる自宅復帰を目指すことが「参加」レベルの目標になるという寸法だ。

一方、寝たきりのまま退院する患者さんは、元から介護を受けながら生活をしていて、今回の怪我や病気を受けても入院前と同じような生活になるから、あるいは違っても退院後予測される生活に納得して退院するから、「自宅復帰困難じゃない」のかもしれない。

このように「参加」にはやりがいや生きがい・満足感といった概念が重要になり、そこを考慮に入れて支援するのが理学療法士の大事な役割なのである。

とはいえ、それらが満たされているかは極論本人にしか分からないから難しいという側面もある。だから、一般的には活動と参加を区別せずに一括りにするのではないかという卵屋説を唱えておく。

まとめ

今回は「活動」と「参加」の違いについて述べた。

「やりがい・生きがい・満足感などの概念が加わるか加わらないか」がキーだと結論づけた。

最後に、「参加」の本質を捉えたときには、必然的に他者との関わりが必須になってくるということも付け加えておこう。

人間は、一人だけでは生きてはいけず、家族なり、友達なり、学校なり、職場なり、「人」と関わり交流することで生きがい・やりがい・満足感といったものを感じる生き物だからだ。

なんともややこしくてそれでいて美しい生き物である。

この記事を書いた人
卵屋

ブログ管理人、投稿者。
おっさん。回復期病棟で働く理学療法士。

普段から仕事や日常の出来事について熱く語り合っているおっさん達で「せっかくだから自分たちの考えを世の中に発信していこうぜ」とブログをはじめました。
おっさん達の発信が誰かの役に立てば幸いです。
よろしくお願いします。

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