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理学療法士が患者さんの意向に沿えない場面とは?

全理学療法士向け
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こんばんは、卵屋です。

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はじめに

さて、過去2回の記事(なぜ理学療法士は勘違いしてしまうのか?理学療法士と患者さんとの適切な距離感とは?)で「理学療法士は患者さんの思いや決断に安易に口出しすべきではない」、「あくまでも専門家としての情報提供や提案にとどめるべき」、「意思決定は本人・家族にまかすべき」、「そういう立場であることを認識すべき」ということを言ってきた。

今回はこれまでとは真逆の話。そんな理学療法士でも例外的に患者さんの方向性や退院先について口出しする場面がある、というお話である。

これは法人や各病院の方針により少々異なることはあるが、社会全体で一定の範囲内で合意されているものとも感じる。

また、もちろんこれは理学療法士だけがその立場に立つものではなく、主治医を中心とした病院の考えとして方針を決めることではあるが、回復期病棟という性格上どうしても理学療法士をはじめとしたリハビリスタッフの意向が反映されやすい。

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理学療法士が患者さんの意向に沿えない場面とは?

本題に入る。

これまで理学療法士は、患者さん・家族さんの目標に向けて全力でサポートする役割、立場上動作や生活に制限をかけることは健全とは言えない、と言ってきた。

では、いかなる状況においてもその立場をとるべきか?

これは現在の社会においては”否”である。

以下のような場面においては口出しせざるを得ない。

「(老化や病気などにより)患者さんに適切な判断能力がない」、かつ
「身寄りがない」、かつ
①退院すると「死ぬ」ことが容易に予想される、または
②退院すると第三者に被害が及ぶことが容易に予想される

場合。

あまり頻繁ではないが、こういうケースがまれに存在する。

例として、60代男性、脳卒中を発症した症例を考えてみる。

元々親類とは疎遠、独身で身寄りはない。発症前は日常生活は全て自立。仕事もしていた。今回の発症で重度の片麻痺を患い退院時も基本動作は介助下でしか獲得できなかった。同時に脳卒中による高次脳機能障害が残存し自身の病識や適切な判断能力が低下している。

退院すると「死ぬ」ことが容易に予想される場面

まずは上記の①について考えてみる。

本人は入院時から一貫して自宅退院を希望した。当初より物的環境や人的環境を調整し自宅復帰を目指そうという方針となっていたが、やはり退院が近づくにつれ困難が予想された。医師・看護師・リハビリスタッフ・社会福祉士・ケアマネージャーなど病院・在宅のチームで知恵を出し合っても、とてもじゃないが独居で生活するのは難しいことが予想された。家に帰るとベッドから一歩も動けない。ご飯はどうする?トイレは…?課題が山積である。

そんな中、本人は「家に帰りたい」、「介護保険サービスなんて受けない」、「全て自分でやる、できる」と強く主張する。

良くないことだが、長く医療に従事していると彼(患者さん)の主張に「そんな無茶な…」と思ってしまう。医療従事者の「当たり前」をすぐにあてはめてしまう。少し距離を置いて考えてみるとごくごく当然の主張なはずだ。身体さえ動けば誰しもそうしたいに違いないし、これまでそうしてきたのだから…。

とはいえ、彼の主張に「患者さん本人が言っているから」とそのまま意向に沿う形で退院させてしまうとどうなるであろうか。

家に帰った瞬間からベッドから一歩も動けない、ご飯はどうするのか?トイレは?そもそも退院の日にどうやって家に帰るのか?常識的に考えて生活が成り立つとは到底思えない。それどころか仮に午前中に退院したとして次の日の朝に生きている保証すらままならない。そういったことが容易に想像できてしまう。

「患者さんの思いに寄り添って」「あきらめずに可能性を信じて」などという綺麗ごとはここでは通用しない。

1)「退院後早期に死ぬことを覚悟で本人の意向に沿う」
≒本人の希望通り介護保険などのサービスは入れないまま自宅復帰を容認する
2)「死なないように本人の意向に(提案やアドバイス以上の)口出しをする」
≒介護保険などのサービスを(強引にでも)入れる or 施設への退院をすすめる

の2択だ。

 

病院として理学療法士としてどういう対応をとるべきか。

結論としては、やはり後者を選択せざるを得ない。

これは突き詰めると生命倫理、「生」に対する価値観、あるいはどういう「生」を正しいと捉えるかといった議論になろう。

もちろん「いくら判断能力の低下があるとは言え本人が決めたことだから」と死ぬことを覚悟でサービスも入れないまま自宅復帰を推奨する考えがあってもおかしくはない。「安楽死」や「尊厳死」をどう捉えるかに近い議論になろう。

そんな小難しい話を整理した上で口出しをするかどうかを決められればよいのだが、実際のところはもっと浅い考え。なんてことない、「自分たちを守るため」である。

邪な考えかもしれないがそれが実際のところ。

入院中にいくら良質な医療を提供して、本人にもリスクを説明して、退院後の情報提供・提案もし尽くして、最終的な判断を本人にまかせた事実があったとしても、その結果すぐに「死んでしまった」ら、世間は許してくれない。

「そんな状況でなぜ帰したのか」「こういう事態に陥ることを予測できなかったのか」「対策はとれなかったのか」などなど非難轟々であろう。

それらを回避するために本人の意思とは反する決断を下す。褒められたことではないかもしれないが、世間とのバランスを取らないと組織運営は成り立たない。どこかに「正解」でも記されていない限り「死んでもいいから本人の意思を尊重する」という決断には至らないのが現実である。

退院すると第三者に被害が及ぶことが容易に予測される場面

上記の②についても考えてみる。

高次脳機能障害が残存している患者さんで、自宅に帰ると火の管理が不十分で火事を起こす可能性が高いようなケース。そういった場合、やはり病院側として「本人が言っているから」と何の対策も取らずに退院させることはできない。

これは「病院側を守る」というもの以上に、社会全体の共通認識「いくら本人の希望だからといってまわりの人に迷惑をかけるのは許すわけにはいかない」という考えも入ってくる。「本人の希望を尊重する」という考えには、大前提として「まわりの人には迷惑がかからない」という条件が付随する。

いくら本人に自覚がなくてわざとやるわけではないにしろ、そういった可能性が高い患者さんを病院側としては「本人の希望だから」と安易に退院させる訳にはいかないのである。

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おわりに

以上のようなことから、基本的に範囲を超えた口出しをしないと決めている私でも、上記の①・②のような状況においては、カンファレンスなどで患者さんの意向と反対の提案をすることがある。つまり患者さんの判断や選択に口出しをしている。

これまで言ってきたこととは反する態度だが、ある種の特例であると自分に言い聞かせている。逆に言うと、こういった状況にでもならない限り、(これまで言ってきた通り)情報提供やアドバイスの役割に徹し、必要以上に本人の決断には立ち入らないようにしている。

未だに正解なんて分からないし、何年か後には考えが変わっているかもしれない。

(今のところ)私はここで線を引いています。

皆さんはどこで線を引いていますか?

この記事を書いた人
卵屋

ブログ管理人、投稿者。
おっさん。回復期病棟で働く理学療法士。

普段から仕事や日常の出来事について熱く語り合っているおっさん達で「せっかくだから自分たちの考えを世の中に発信していこうぜ」とブログをはじめました。
おっさん達の発信が誰かの役に立てば幸いです。
よろしくお願いします。

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