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現役理学療法士が「運動学習」について語る1

全理学療法士向け
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こんばんは卵屋です。

今回から「運動学習」についてお話します。

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「運動学習」ってなんだ?

この患者さんは下肢の筋力低下があるので歩行に介助が必要です。
〇〇さんはもう少し筋力をつけると楽に立ち上がることができますよ。
一人で起き上がれないのはまだ筋力が足りないからですかね…。

 

理学療法士の会話の中では「筋力」という言葉がよく出てくる。

これは運動を説明するときに「筋力」という言葉が最も分かりやすいからである。
一般的にも使われるポピュラーな単語、かつ話し手と聞き手の間でおおよそ意味が一致しているから。
患者さんに説明する場面においては重宝する言葉である。
例にもれず私も多用している。

一方で、当然ながら筋力だけで説明できない事はたくさんあり、その他の要素をもって説明する必要が出てくる。関節可動域、感覚、筋緊張…、学校で習ってきた「武器」を持ってつじつまが合うように一所懸命説明しようと試みるがどこまでいっても釈然としない何かがあるのではないだろうか。

そう、運動を深く掘っていくと必ずと言っていいほど「運動制御・運動学習理論」にぶち当たる。

 

「股関節屈曲・体幹前傾が少なくて立ち上がりが出来なかった患者さんに、正しい立ち上がり方法を指導すると介助なしで出来るようになった。」

このような経験をしたことがある理学療法士は多いのではないだろうか。

では動作指導をする前とした後で、患者さんは何が変わったのだろうか。

筋力が向上した?

可動域が改善した?

そんな短期間にそれらが起こることは考えにくく単純に「運動を学習した」という他ないと思う。

「筋力」や「関節可動域」といったものと同じ次元の言葉で言うなら「協調性が改善した?」「神経ネットワークが変化した?」とかになるのか…

いずれにせよ「運動学習」という概念抜きにこの現象を説明するのは難しい気がする。

さて、今回からこの「運動学習」というものについて出来る限り分かりやすく解説していく。

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「運動学習」がとっつきにくい理由

患者さんの状態を把握・分析して問題点を抽出していくと「筋力」や「関節可動域」だけでは太刀打ちできない、と感じ色々調べた結果「運動学習」というキーワードまで達する理学療法士は多いと思う。

が、そこから調べて勉強すると「運動学習…何だかよく分からないな…」と諦めていく理学療法士もこれまた多い印象だ。

そう、「運動制御・運動学習理論」は理学療法士にとってとっつきにくい分野なのだ。

ここではまず、なぜ運動学習がとっつきにくい領域なのかを考えてみる。

数値化しにくいから

「運動学習」は「筋力」や「関節可動域(ROM)」などと比べると数値化しにくい。

そう言うと「筋力」も特殊な機械がないと細かな測定はできないことになるが、それでも一応MMTという広く知れ渡った測定法がある。

「股関節外転MMT=4」、「股関節屈曲ROM=120°」といった分かりやすい評価項目と比較して、「運動制御力=〇〇」「協調性=〇〇」のような項目は今のところ存在しない。

そして、数値化されにくいことで次のようなことが起こる。

臨床推論に取り入れることを拒む風潮があるから

「筋力(MMT)が弱い。関節可動域が狭い。だからこの動作が出来ない」は、臨床推論としては受け入れられやすいが、「運動制御の問題で立ち上がりが出来ない」「運動が学習されていないから歩行が出来ない」は理学療法界では受け入れられにくい。

まぁそりゃそうだ、理学療法を科学として扱っていこうとする世の中的な風潮の中、数値化されにくい概念を推論に取り入れることは当然嫌がられる。ここを慎重に扱わないとせっかくEBM、EBPTを標榜してきた理学療法が科学から遠ざかる危険をはらんでいる。

つまり数値化できないことをいいことに機能的な問題点を全て運動学習に求めてしまうと、極論「何でもあり」になってしまう。

この辺りは私も立ち位置を決めにくく、「運動学習」はかなり重要視しているし、動作阻害の理由を「運動制御・運動学習」のせいにすることを最終的には受け入れるべきという立場である一方、だからといって「何でもあり」になってはいけないとも思っている。むやみやたらに「運動制御」「運動学習」の問題で解決を図ろうとするのは反対の立場である。

今のところ、筋力、関節可動域、感覚などある程度数値化できるもので機能的な問題点を導き出し、それでも説明がつかない残った仮説として「運動制御」「運動学習」の問題を考慮に入れるのが健全なあり方なのではないかと思っている。可能性を排除しつつそれでも解決しないときの伝家の宝刀とでも言うべきか…。

ただ、当然、筋力や可動域に問題がある上でさらに「運動制御」にも問題があることもあるので頭の片隅には常に置いておくべきとも言える…。うーんスタンスが難しい。

とにもかくにも理学療法界では、「運動制御」や「運動学習」という概念自体は大事だと認識はしつつも、臨床推論との「親和性」が低いためとっつきにくい理学療法士が多いのではないかと考えている。

領域全体の大枠が捉えにくいから

ここからはもう少し勉強が進んだ先の話をする。

運動学習を勉強していくと、「スキーマ理論」「KR(結果の知識)」「内在的・外在的フィードバック」といった人間の運動がどのようにして学習されていくかを解説した文献がある一方で、「小脳の働き」「内部モデル」「フィードバック誤差学習」など体内のミクロな世界(主に神経)でどのような反応が起こり「運動学習」が実現されているかを解説する文献があったり、と領域全体の大枠が捉えにくいという特徴がある。

つまり、今自分が運動学習のどこついて勉強しているかが分かりにくいという訳だ。

未だに私もどう分類して整理するのが正しいのかよく分かっていない。

が、運動学習の母(私が勝手にそう呼んでいる)”大橋ゆかり”先生が著書で図を使って説明してくれているので気になる方は是非こちらの書籍を。


「セラピストのための運動学習ABC」

私の解釈を込めると、「運動学習」は科学者たちがそれぞれの研究領域(生理学、心理学、運動学など)で別々で研究し、それぞれの領域で発展していったため、ややこしくなったと思っている。

生理学の立場は、運動が学習されたときの体内を覗き見て「運動を学習する瞬間、人間の体内ではどのような変化が起こっているか」を明らかにしようとする立場。言い換えるなら「どうなっているか」を探る立場。

心理学(行動主義心理学)の立場は、体内のミクロな世界でどうなっているかは分からないが、「動物や人間にAという課題を与えてBという反応をみる」をたくさん集めて普遍的なものを取り出す、その結果「Bを起こすための条件はAだ」といった具合で、「どうすればいいか」を探る立場。

このように解釈している。

理学療法士の我々は、心理学で明らかになった方法を臨床場面で活用させてもらいつつ、生理学での研究結果をもとに変化した(あるいはしなかった)理由を探り次の場面に活かす。そのような知識の活用が望ましいのではないかと思っている。

 

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「運動学習」が大事だと思う理由

さて、理学療法士にとって大事なことは分かるがどこかとっつきにくい「運動制御」「運動学習」。

ここでは、改めて「なぜ大事か」を整理してみる。

「どうすればいいか」の知識を与えてくれるから

ここまで何度も言ってきたが、「人間の運動」は筋力や関節可動域だけでは片づけられない。臨床では「筋力が弱いから」、「関節可動域が足りないから」だけでは説明出来ない事柄が無数に存在する。

さて、このあたりは評価の話。

理学療法における「どうなっているか」の話。

先にも述べたが「運動学習」は「評価」には弱い理論。数値化出来ないので「運動制御」「運動学習」を理由に挙げれば何でもありになってしまう。

 

そして、実は「運動学習」の知識が強さを発揮するのは「治療」の話

理学療法においては「どうすればいいか」の話。

つまり、「どうなっているかは分からないが『運動学習理論』に当てはめて治療を実施していくと狙った通りに動作が改善する」。色んな言葉をはしょって端的に説明するとそのような性質がある。

筋力や関節可動域の次元の評価はブラックボックスに入っており、そのレベルの検査・評価は(今のところないし)何が変わったかは分からないけど、やってみたら目的とする動作が実施できるといった具合。
(というより、治療により改善がみられたら「運動制御」「運動学習」の問題だったのか、と治療が評価になるという少し変わった評価方法と言える。痛みを誘発して痛みの原因を探る評価に近い印象。)

そんな中、理学療法にとって最も欲しい知識は「どうすればいいか」の知識

科学としての信用を失うことを嫌う気持ちも分かるが「どうなっているか」が分からなくても「どうすればいいか」が分かればそれでいいと割り切る勇気も必要ではないかと考えている(「全身麻酔」のメカニズムは解明されていないけど広く利用されているのと一緒と考えれば納得いただけないだろうか…)。

とにもかくにも運動学習理論は「どうすればいいか」の知識をもたらしてくれ、患者さんに運動を指示するときの方向性を示してくれる。

これが最も大事な理由だと思っている。

装具療法をする上で必須だから

近年、装具療法は目覚ましい発展を遂げている。

一時期、脳卒中患者に対する神経促通療法が流行った時期は毛嫌いされていたこともあったが、今では当たり前のように装具は使われているしむしろガイドラインにも載るスタンダードな治療法となっている。

脳卒中患者が治療をしていく過程でよく用いられる長下肢装具・短下肢装具、これらは何を目的に作製され治療に活用されているのか?このあたりの整理をしていると「運動学習理論」にぶち当たる。

「装具療法は運動学習の知識があって初めて実施できる。」

唐突だが私はこう考えている。

説明する。

脳卒中片麻痺になり、足に運動麻痺が出現し、さて今から歩行を獲得していこうという段階のとき、長下肢装具や短下肢装具を作製することが今では主流になっているが、この「装具」、当然ながら足に着けるだけで効果が出現するわけではない。

物理療法の赤外線や電気刺激などのように患部に当てているだけで効果を発揮するといったそんな性格のものではない。

装具は「付けた状態で運動をすることで効果を発揮する。」

右も左も分からなかった理学療法士時代、私の中で「装具」とは「代償」だった。手足の機能が低下したのを補うために装着するものだという認識が強くあった。だから、リハビリ中は装具をつけて歩いてても装具を外し病棟生活に戻ると元通り。これは何を目的に着けているのだろう?むしろ機能回復を妨げているのではないか?そういう思いにもなった。例に挙げた物理療法のように装具を装着するだけで神経が活性化し麻痺が治ってでもいかない限り、「治療」として装具を使う意味はどこにあるのか?トレーニングして、トレーニングして、それでも後遺症として残ってしまった問題に対して代償的に用いるものという認識が強い私には理解できなかった。今でもその認識の理学療法士は多いのではないだろうか。

この悩みを解決したのが「運動学習」だった。

そう、何を隠そう訓練期での装具運動学習を促しているのである。

装具やその他最新の治療法(ボツリヌス療法、IVES、経頭蓋磁気刺激治療、ロボットリハ…など)はすべからくみな「運動学習理論」の恩恵にあずかっている。

このあたりは話が進んでいく中で解説していくつもりだ。

とにもかくにも装具を主としてその他の治療法を理解しようと思うと「運動学習」の知識が必須となってくる。だから「運動学習」は大事だと主張する。

まとめ

今回は「運動学習」の導入についてまとめた。

「運動学習」という言葉は聞いたことがあるし興味も持っているが、範囲が広かったり具体的なイメージがつきにくくてどこからどう勉強していっていいかわからない、そんな理学療法士も多いと思う。

今後の記事がそういった方たちの参考になれば幸いである。

ようこそ「運動学習」の世界へ。

 

続きの記事→現役理学療法士が「運動学習」について語る2

 

この記事を書いた人
卵屋

ブログ管理人、投稿者。
おっさん。回復期病棟で働く理学療法士。

普段から仕事や日常の出来事について熱く語り合っているおっさん達で「せっかくだから自分たちの考えを世の中に発信していこうぜ」とブログをはじめました。
おっさん達の発信が誰かの役に立てば幸いです。
よろしくお願いします。

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