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理学療法士と作業療法士の違い問題を考える

全理学療法士向け
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「理学療法士と作業療法士って何が違うの?」

患者さんから、はたまたこの業界になじみのない方々から幾度となくされてきたこの質問。

SNS上では「PTのOT化」「OTのPT化」など揶揄したり、ときには誉め言葉として使ったり、人はみな理学療法士と作業療法士を区別したがる。

今回は回復期病棟で働く私がこの根深い問題(以下「PT・OT問題」)について考えてみる。

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一般的に言われる理学療法士と作業療法士の違い

一般的(教科書的)に言われるPTとOTの違いについて簡単にまとめる。この手の話に聞き飽きた人は読み飛ばして頂いて結構だ。本題はもう少し先にある。

目的の違い

理学療法士及び作業療法士法の定義によると、理学療法・作業療法はそれぞれ以下のように書かれている。

「理学療法」とは、身体に障害のある者に対し、主としてその基本的動作能力の回復を図るため、治療体操その他の運動を行なわせ、及び電気刺激、マツサージ、温熱その他の物理的手段を加えることをいう。
(理学療法士及び作業療法士法 第一章 第二条)

「作業療法」とは、身体又は精神に障害のある者に対し、主としてその応用的動作能力又は社会的適応能力の回復を図るため、手芸、工作その他の作業を行なわせることをいう。
(理学療法士及び作業療法士法 第一章 第二条) 

すなわちこれはPT・OTが行う営みの目的の違いを示している。

キーワードは「基本的動作能力の回復」「応用的動作能力・社会的適応能力の回復」

基本的動作能力とは「立つ」「歩く」「起きる」「座る」などを指し、応用的動作能力とは「食事」「トイレ」「着替える」「料理」など、社会的適応能力とは「就学」「就労」といったものを指す。

仕事内容の違い

理学療法士…関節可動域訓練や筋力強化などの運動療法、マッサージや電気刺激などを使った物理療法、ベッドからの起き上がりや平行棒での歩行などの基本動作練習。

作業療法士…手工芸や道具を使った作業活動、トイレでのズボンを脱ぎ履きや、箸・スプーンを使って食事をとる練習、包丁を使っての料理など日常生活動作や家事動作の練習。

ここでのキーワードは「基本動作練習」「日常生活動作練習・家事動作練習」

働く場所の違い

共通:一般病院・総合病院、リハビリテーション病院、老人保健施設、福祉施設など

理学療法士特有:スポーツ関連施設など

作業療法士特有:精神科病院、児童養護施設など

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PT・OT問題でよく起こる論争とその理由

さてさて、ここまで色んなサイトで紹介されている理学療法士と作業療法士の違いをつづった。

もういい、もういい!そのあたりは聞き飽きた、分かったような分からないような説明はもういい、もっと現場だからこそ分かる「本当の違い」を教えてくれ!

そんな声が聞こえてくる。

安心してください、ここからが本題。現場で働く理学療法士だからこそ分かる理学療法士と作業療法士の違いを解説していく。

 

PT・OT問題でよく起こる論争

はじめに、PT・OT問題を議論していると必ずと言っていいほど起こる論争をまとめてみる。

「手足」論争

「PTは足」「OTは手」を専門にリハビリする職種という考え方に対する論争。

そもそもなぜこういう考え方が浸透しているのか、法的な定義でそう書かれている訳でもないし、それぞれ協会が発信している訳でもないのだが、現場でははっきりとそういう雰囲気がある。

例えば回復期リハ病棟でも、脳卒中片麻痺患者さんの下肢の評価やトレーニングはPTが主に、上肢の疾患やトレーニングはOTが主にすすめるという風に暗黙の棲み分けがなされているのが現実だ。

このような棲み分けに至った経緯は明白ではないのだが、私は、
PTが基本動作OTが応用動作のリハビリを担っているから。
➁OTは「作業」を用いて治療を実施するから。
の2つが影響しているのではないかと推察している。

基本動作は立つや歩くといった足がしっかり踏ん張れないと成り立たない動作が多い反面、応用動作はトイレや着替えなど上肢がしっかり動いて遂行できる特性を持っている。だからPTは足、OTは手と棲み分けされたのではないか説。

「作業」はほとんどの場合において手を使う。もちろん立って作業をするためには土台となる足がしっかりしていないと出来ないことは言うまでもないのだが、「立つ」という動作・姿勢そのものを取って「作業」とは言わないし捉えられないのが一般的だ。また立てなくても、座って作業をすることは可能な反面、手を使わずに作業をすることは不可能に近い。「作業」の定義をどこまで広げるかによるが、一般的に「作業」とは手で行うことがほとんどのためそれをするために「手(上肢)」についてはOTが専門的になっていった説。

要はそれぞれが定義に沿った専門性を発揮しようと思うとその根元となる機能に目を向けざるを得なかった。その結果、手と足というぼんやりとした棲み分けが出来ていったのではないかと推察している。

さて、少し話がそれた。この「理学療法士は足、作業療法士は手」という区別をすると必ずと言っていいほど起こる論争が以下だ。

「え、理学療法士ですけど、全然肩や手もアプローチしますよ。」
「作業療法士は足がみれないなんて誰が言ってんの?そもそも足なしでADLなんてできないじゃん。」
「じゃあ理学療法士しかいない施設では手や肩に障害があっても放置するわけ?」
「〇〇先生は作業療法士だけどそこらの理学療法士より全然足に詳しいよ。」

うん、よくある。よく見る。

みんなカルシウム取ろうな。

 

「基本動作・ADL」論争

定義上、PTは基本動作(立つ、歩くなど)、OTは応用動作(トイレ動作や更衣動作など)と棲み分けされている。

回復期リハ病棟の実際場面においても「歩行に関してはPT、トイレや更衣についてはOT」のように割と明確に区別されている。Aさんの歩行能力や歩行補助具の選定についての問い合わせ窓口は担当PT、トイレ動作や更衣動作に関する質問は担当OT、という風にリハビリスタッフ内では暗黙の合意がなされている(正直トイレ動作については微妙…。全然PTにも聞くし聞かれる)。

が、油断すると以下のような論争が起こる。

PT「いやいや、立ったり歩いたりはその先の目的があるからするんでしょう。『トイレに行く』とか『ご飯を食べに行く』とか。ただ立って歩くだけをする人なんていないでしょう。PTも日常生活動作をみれないとリハビリする意味ないし、当然そこまで考えてやりますよ。何ならOTよりちゃんとみれる自信ありますよ。」
OT「いやいや、応用動作のリハビリって言うけど、トイレ動作にしても更衣動作にしても、その前段階の『立つ』『座る』といった基本動作がしっかり出来ないと成り立たないでしょう。OTも当然そこからアプローチしてますよ。」
「最終的に生活全体をみないといけないし、PTもOTも最終的な目的・目標は一緒なんだから、わざわざ基本動作と応用動作に分ける必要なくね。」

みんなカルシウム取ろうな!

論争が起こる理由

なぜこのような論争が起こるのか考えてみる。

ちなみに上記2つの論争についての私の立場は、「別に『PTは足、OTは手』『PTは基本動作、OTはADL』で大きく区別してもよいのではないか」である。

その立場でこれらの論争が起こる理由と反論を考えてみる。

 

➀一方の「強み」を他方の「弱み」と捉えるから

PTは手や肩のことをまったく知らないわけではないし、OTも足のことがからっきしな訳ではない。当然だがお互い学校で一通り共通の解剖、生理、運動学を学び国家試験を通ってきている。また就職してからも当然それぞれ手足のことに触れる機会はある。だからお互い知識がまったくないわけではない。

が、どちらの方がより詳しいかと問われるとPTは足だし、OTは手である(基本動作とADLについても同じことが言える)。業界全体のアベレージという視点で考えた時それは間違いないだろう。

つまりPTは足に関する知識が「強み」だし、OTは手に関する知識が「強み」だ。

そして大事なのが、だからといってPTは手が「弱み」ではないし、OTは足が「弱み」ではないということ。相対的にみると足はOTよりPTが、手はPTよりOTが強いが、「一般の人」からみるとどちらもめちゃくちゃ「強い(詳しい)」

その職場にPTしかいなかったら手のリハビリはPTにまかされるだろうし、OTしかいなかったら足のリハビリはOTにまかされるだろう。

ただ同じ職場にPTもOTもいて分担してリハビリ出来る環境ならば強い方が主になってリハビリすればよいのではないか、というのが私の立場である。

一方の強みを他方の弱みと捉える傾向がこの論争を生み出していると考えている。

 

➁一部の人ができるイコール全体ができると捉えるから

PT「俺の知っているPTはクリニックで毎日肩のリハビリをしている。」
OT「〇〇さん(OT)は歩行の学習会を開くほど歩行にも精通している。」

というような意見。

だから「PTも手(肩)」、「OTも基本動作」と繋げるのはあまりに短絡的ではないか。

「業界全体としてどうか」という議論をしている中、突出した例を挙げて一般化するのは思慮が浅い、視野が狭いと言わざるを得ない。

一般的なPT・OTより突き抜けて能力のある人を「凄い」と認めつつ、自分やまわりはどうかという視点が求められるのではないだろうか。

 

➂0か100かの思考

➀に通ずる話だが、「PTは足に詳しい、OTは手に詳しい」を、だから「PTは足:100、手:0」「OTは足:0、手:100」と脳内変換してしまう人が多い。

この手の議論は100か0かではなく、「PTは足:100、手:60」のように足に比べるとやや手の知識は劣るが、一般の人から見ると60も詳しいと考えるべきである(数字は適当です)。

0か100かではなく得意なところと比べるとどの程度かという考えを持ってみてはいかがだろうか。

 

④階層の整理をしないまま議論するから

「基本動作はPT、ADLはOT」論争についての話になるが、これはそもそも得意とする「階層」に違いがあることに気付くべきである。

「ADL」は「基本動作」の上位の概念。

以前の記事で利用した図で示すと以下のようになる。

PTもOTも最終的な目標は「家に帰り幸せに生活を送る」といった、もっと上位の概念で共通しているが、主にアプローチする動作の階層には違いがあるということだ。

PTは基本動作にアプローチし、当然その先のADL・IADLに反映できることを目標としている。

OTはADL・IADLを獲得するために、当然基本動作についても評価・アプローチをする。

お互いその周辺(PTならばADL、OTならば基本動作)にまったく目を向けないことはないし、評価やアプローチもする。

が、あくまでも大きく関わる動作の階層はそれぞれの階層(PTは基本動作、OTはADL)というだけのことである。(ここでいう「関わり」については後述する。)

➀の強み・弱み問題や、➂の0か100かの思考問題と通ずる話だが、PTは基本動作について詳しいし、OTはADLについて詳しい。

それぞれ周辺をまったく無視するわけじゃなくお互いの強いところを分担して関われていれば、「PTは基本動作、OTはADL」と区別してもよいのではないだろうか、というのが私の立場。

 

以上、論争が起こる4つの理由と私の立場からの反論を述べた。

ではよく起こる論争はさておき、「PTとOTはどう棲み分けるのが最適なのか」について私の考えを述べていく。

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理学療法士と作業療法士の棲み分けはどうあるべきか

先述したが、私はPTとOTを「手か足か」「基本動作かADL」かで大きく区別することに肯定の立場である。

ここでは他にもPTとOTを棲み分けする要素がないかを考え、どう棲み分けるのが最適なのかを整理していく。

手か足か

上述の通り。

基本動作かADLか

上述の通り。

運動機能か認知機能か

PTは動作分析や運動力学的思考などといった「運動面」に対する評価やトレーニングに強い。

OTは認知機能や高次脳機能、精神機能といった「認知面」に対する評価やトレーニングに強い。

実際、回復期リハビリ病棟でも動作の力学的分析(例:歩行分析)はPTが、認知機能の評価(例:HDS-R)や高次脳機能の評価(例:FAB、コース立方体組み合わせテスト)はOT(ST)がといった風に割と明確に分担されている。

当然ながら「運動」と「認知」をスッパリ切り離すことは出来ない。人間が動くためには、外からは見えない脳や脊髄での無数の処理が必要で、その結果として動いている。後頭葉・側頭葉・頭頂葉での感覚の認知、前頭前野での行動の計画、補足運動野での運動のプログラム、小脳との連携…など高次脳的な処理が必須である。「運動」をただただ無機質な力学的現象の集合体と捉えるのは極めてナンセンスだと言えよう。

どの範囲を「運動」、どの範囲を「認知」とするのか、綺麗に分けることは不可能だが、主にみる視点という立場に立てばそれぞれの強みは見えてこないだろうか。

すなわち、同じ動作でもPTは力学的な視点OTは高次脳機能的な視点から観察・分析すればそれぞれの強みになるのではないだろうか。

例えば、高次脳機能障害のある患者さんがトイレ動作が自立できずに困っていたとする。
PT力学的な視点から、立位保持が安定せず下衣操作が不安定となる現象をみて「下肢筋力の低下」が主たる原因と評価し、訓練で筋力の強化を図る。
OT高次脳的な視点から、下衣操作(ズボン上げ)が不安定となる原因を「上衣の裾を上げる→パンツを上げる→上衣の裾を下ろす→ズボンを上げる、という着替えの手順の問題」と評価し手順の定着を図るように取り組む。

このように同じ問題について視点を変えてそれぞれの強みを発揮することでより高い効果を生み出すのではないかと考えている。

これらは相反することではなく、土台を支える下肢機能を向上させることも、ズボンを上げるまでにかかる時間短縮や手順定着による重心動揺の減少も、「下衣操作の安定」に寄与し、引いては「トイレ動作自立」に向けての貴重な関わりとなるはずだ。

「運動面」と「認知面」の視点でそれぞれが分析し課題解決に向けてアプローチすることで、相乗効果的に質の高いリハビリテーションが提供できると私は信じている。

機能訓練か代償手段か

これは慎重に言葉を選ばないとOTさんに喧嘩を売ることになるが、私は「OTは特定の対象以外は基本的に機能訓練をしなくてよいのではないか」と思っている(ドーン)。

さてさて、OTさん落ち着いて(笑)。
何を隠そうこの考え方は私の信頼する・尊敬するOTさんからの受け売りである(批判は全てそのOTさんへ 笑)。PT・OTの棲み分け問題について私なりに考えて悩んでいるときに、信頼するOTさんからこの意見を聞いて「あ~なるほど、やっぱりそうだよね」ととてもすっきりしたので今でも強く頭に残っている。

さてさて、解説していこう。

ここでいう特定の対象とは、
 ➀上肢(肩、肘、手)の機能障害
 ➁改善の見込みのある高次脳機能障害
である。

これまでOTの強みについていくつか紹介したが、私はOTの一番の強みは「色んな代償手段を知っていること」だと思っている。

障害を負って後遺症が残った患者さんに、あるときは道具を使って、あるときは環境を工夫して、安全・安楽に生活が出来るようにたくさんの選択肢を提供する。この関りを「代償手段」と表現し、そういった関わりを最も得意とするのがOTだと思っている。

例えば、脳卒中患者さんが入浴するとき、背中が洗いにくい、タオルを両手で持って背中をごしごしすることが難しい、となると先が輪っかになっているタオル(ループ付きタオル)を用意して麻痺側の手首や肘に引っかけて非麻痺側で洗う方法を提案する、というような関わり。

生活動作の詳細を知り、障害による患者さんの不自由さを知り、便利な道具を知るOTだからこそできる貴重な関わりであると思っている。

「OTも機能訓練で機能自体を回復する関わりは出来るわい!なめてくれるな!」

たくさんの反対意見が聞こえてきた。特定の対象に挙げた2つに関してはその通りだと思う。上肢の障害、高次脳機能障害に関しては改善の見込みがあり、かつPTより詳しい。是非こちらからお願いしたい。

では大腿骨頚部骨折術後患者さんは?脊椎圧迫骨折患者さんは?TKA術後の患者さんは?肺炎後廃用症候群患者さんは?

回復期リハ病棟に入院しているからと機械的にPT・OTと同じ分だけ単位を取り、同じ時間だけ関わっている現状があるのではないだろうか。下肢や体幹機能、はたまた運動学習、運動生理などはPTの方が(業界のアベレージとして)詳しいはず。

機能訓練の対象に当たらない患者に関してOTは、
入院した最初の生活評価・環境調整で深く関わり、
機能訓練期のトレーニングはPTに任せて
定期的にADLの評価に入り
退院する前に、自宅復帰に向けた評価・代償手段の提案・環境調整に深く関わる、
このような関わりが望ましいのではないだろうかと思っている。

機能訓練はPT代償手段の提案はOT、このような棲み分けがもっと進めばいいのになぁと思うおっさん理学療法士なのでした。

まとめ

今回はPT・OT問題について考えてみた。

実際現場で同じことをしている現状や、お互いのプライドがぶつかり合うこともあり、リハビリテーション界では7大未解決問題の一つに指定されている。

記事の中でも幾度となく出てきた重要なキーワードは「強み」

「いやいやPTも」、「いやいやOTも」そういった気持ちになるのは分からなくもない。が、お互いまったく出来ないとか、絶対にやってはいけないとか言っている訳ではなく、メインで関わる領域は「強み」を持っている職種が担当すればいいのではないかと思っているだけである。

お互いの「強み」が何かを探り、それぞれが強みを発揮するためには、と考えていけば大まかな区別くらいは出来るのではないかと私は考えている。

PT・OT問題、皆さんはどう考えますか?

この記事を書いた人
卵屋

ブログ管理人、投稿者。
おっさん。回復期病棟で働く理学療法士。

普段から仕事や日常の出来事について熱く語り合っているおっさん達で「せっかくだから自分たちの考えを世の中に発信していこうぜ」とブログをはじめました。
おっさん達の発信が誰かの役に立てば幸いです。
よろしくお願いします。

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