こんばんは卵屋です。
理学療法士オムツ交換論争。定期的にSNSをにぎわすこの話題。今回はこのことについて考えてみる。
オムツ交換以外にも「トイレ介助」「更衣介助」「食事介助」など、一般的に看護師さんや介護士さんに割り当てられている業務をリハビリスタッフがすることに対する是非について、今回は「オムツ交換」を代表例として考えてみる。
また私は回復期病棟で働く理学療法士であるが、他の病棟や老健施設等でも同じような問題に悩まされる理学療法士は多いと聞く。
今回は回復期病棟の理学療法士がオムツ交換をすべきかどうかについて話を進める。
はじめに
まずは私の立場から。
私は「理学療法士は基本的にオムツ交換をすべきではない」と思っている。
SNSを見ていると理学療法士オムツ交換賛成派・反対派がそれぞれの主張を展開しているが、お互い自分の主張を通すために色んな状況や前提条件を無視して言葉尻だけを捉えて批判しあっているように見える。
一事例を全ての事例にあてはめて批判したり、一方の主張の論点をずらして新たな主張を繰り広げる、といった形で議論がまとまらずに両者の言い分が平行線をたどっている。
今回はそんなオムツ交換問題を一つずつ整理していき、オムツ交換反対派の私が、なぜオムツ交換すべきでないと考えているかを論じていく。
賛成派・反対派それぞれの言い分
「賛成派(オムツ交換すべき派)」の主張
まずは、SNSや実際の現場でよく聞かれる「オムツ交換すべき派」の主張を取り上げてみる。
「反対派(オムツ交換すべきじゃない派)」の主張
一方、私と同じ反対派の意見も聞いてみる。
あ~よく見る光景。今日もどこかの回復期病棟でこのやりとりが繰り広げられている。
「するのが嫌なだけでしょう」を先に潰しておく
この議論をすると、賛成派の連中から「何だかんだ理由をつけて、ただオムツ交換するのが嫌なだけでしょう」というすっとんきょうな意見が聞かれることがある。
この意見はよくよく考えれば本筋の議論の枠におさまっていない頭の悪い質問なのだが、巧みな(卑怯な)誘導を利用し一見まともな意見のように扱われてしまうきらいがある。その結果、質問に対しての返答がどちらに転ぼうが賛成派に有利に働く巧妙な手口となっている。
この質問に対して「嫌だ」か「嫌じゃない」のどちらを選択したとする。
「オムツ交換するのが嫌なだけでしょう」
このように、どちらにせよ賛成派優勢に話が進められる手法となっている。
なぜこのようなことが起こるのか。この質問のどこがおかしいのか。少し深く考えてみる。
結論から言うと、「隠れている前提に気付きにくい質問形式だから」である。
巧妙に隠しているので分かりにくいが、この「するのが嫌なだけでしょう」という質問は、前提に「オムツ交換をすることは理学療法士の仕事であるのに」という意味が含まれている。
言い換えるなら「(オムツ交換をすることは理学療法士の仕事であるのに)するのが嫌なだけでしょう」と言っている訳だ。
なので単に「そうだ、嫌だ」と答えると前段の「オムツ交換をすることは理学療法士の仕事であるのに」を受け入れてしまうことになる。
さらに「嫌じゃない」と答えると「オムツ交換をすることは理学療法士の仕事であるのに」を受け入れた上で「それは嫌じゃない」と重ねてオムツ交換することに対して許容してしまうことになる。
今、議論していることは「理学療法士はオムツ交換をすべきか否か」である。
つまり「理学療法士はオムツ交換をすべきか否か」を議論している最中に、唐突に「オムツ交換をすることは理学療法士の仕事だ」と論理もへったくれもない意見を出している訳で、会話のキャッチボール自体が成り立っていないのは明白である。
「いや、それがどうかはっきりしないから今まさに話しているんじゃん!」とツッコミが入るのが普通なのだが、「嫌か、嫌じゃないか」の2択で答えさせることで前提がバレないように隠している。
また、題材が「オムツ交換」という「実態としてやって(しまって)いる」内容だから余計に分かりにくい。
この議論を例えるなら「理学療法士も『注射』をすべきだ!」という意見がどこからか出て、反対派が「え、ちょっと待って、そもそも『注射』って医師や看護師しかしてはいけないんじゃなかったっけ?」と整理しているところに、賛成派が「注射するのが嫌なだけなんでしょう?」と言っているようなものだ。
制度や法律的に、また組織や社会に求められている役割として「『注射』は理学療法士がすべきかどうか」を議論している最中に、理学療法士の「お気持ち」(嫌だ・嫌じゃない)は関係のない話である。
「オムツ交換するのが嫌なだけでしょう?」に対する適切な返答としては、「その質問は、理学療法士がオムツ交換をすることが前提になっていますが、そもそもの議題が『理学療法士がオムツ交換をすべきかどうか』なので質問自体が的外れです。」になる。
反対派は「出来るんだったらやりたいけど制度や法律が許さないんだ」などと曖昧な返答ではなくしっかりと論理の矛盾を指摘すべきである。
私が「オムツ交換」をすべきではないと主張する主な理由
制度問題
賛成派が最も苦しむ理由、逆に言うと反対派を最も味方してくれる理由がこれである。
リハビリテーション医療は、基本的動作能力の回復等を目的とする理学療法や、応用的動作能力、社会的適応能力の回復等を目的とした作業療法、言語聴覚能力の回復等を目的とした言語聴覚療法等の治療法より構成され、いずれも実用的な日常生活における諸活動の実現を目的として行われるものである。
(医科診療報酬点数表に関する事項-厚生労働省 より抜粋)
疾患別リハビリテーション料の点数は、患者に対して20分以上個別療法として訓練を行った場合(以下この部において「1単位」という。)にのみ算定するものであり、訓練時間が1単位に満たない場合は、基本診療料に含まれる。
(医科診療報酬点数表に関する事項-厚生労働省 より抜粋)
このように理学療法士として疾患別リハビリテーション料を頂こうと思うと、患者さんの「基本動作能力の回復」や「日常生活動作の実現」を目的としなければならない。
かつ、上記目的で20分以上の関わりを行って初めてお金が頂けるのである。
では、「オムツ交換」がこの算定要件に当てはまると言えるのであろうか。
オムツ交換をする目的が「基本動作能力の回復」や「日常生活動作の実現」であり、かつ、オムツ交換またはオムツ交換プラス他の練習で20分以上の関わりを行ったのであれば、問題なく請求できると思う。
一方でただただ「日常生活のケア(平たく言うなら介護)」の目的でオムツ交換を行いその時間を含めて20分だった場合は、当然ながら算定はできないし、してはいけない。そういう法律になっている。
後述するが、理学療法士が「基本動作能力の回復」や「日常生活動作の実現」を目的にオムツ交換をする場面は極めて少なく、多くの場面において「日常生活のケア」として強いられていると思っている。
だから、私は理学療法士は「オムツ交換はすべきではない」と主張するのである。
役割問題
では視点を変えて、地域包括ケア病棟のように疾患別リハビリテーション料を算定しない病棟だった場合はどうだろうか。
リハビリテーションの料金は、その行為や介入時間をもって算定(いわゆる出来高算定)するわけではなく、全て包括(いわゆるマルメ)になるのでお金をもらうという法律上の問題はクリアとなる。
その時、反対派の理学療法士は「だったら理学療法士もオムツ交換をすべきだ」に意見を変えるのか。この辺りは反対派の中でも意見の分かれるところかもしれない。
私は「それでも理学療法士はオムツ交換すべきでない」と主張する。
理由は「社会に求められている役割がそれではないと思っているから」。
「この病棟は看護師も介護士もリハビリスタッフも関係なく、汚れているのを見つけた人がオムツを交換するんです。ただリハビリスタッフがオムツ交換をした場合は、その分『動作能力の回復』などを目的としたリハビリ時間は減ってしまいます。でも安心してくださいね、リハビリとしての料金をいただく訳ではないので。」
なんて説明をされたら、とてもじゃないが納得できない。
「いやいやお金どうこうじゃなくて、リハビリスタッフはリハビリをしてよ。オムツ交換は必要だししてくれるのはありがたいんだけど、それは看護師さんや介護士さんの役割じゃないの?リハビリスタッフには筋力や体力をつける運動、動作を獲得する練習をしてもらいたいんだけど。」と思うはず。
要は制度や法律的に「してもいい・ダメ」の問題じゃなく、各職種の「役割」に沿って仕事をするべきではないか、ということを言いたい。
「受付の事務職員をオムツ交換要員として病棟に駆り出し、その分会計業務が滞ってしまい毎日長蛇の列を作ってしまう。」
役割ということを考えたときにはこれと同じ。列を作っている人に「ちょっと遅すぎるわよ、どうなっているの!」とクレームを言われたときに「うちは事務職員もオムツ交換をする病院です。そういう病院ですから!」と堂々と言う信念や覚悟があるのならば、私が言うことは何もない。。。
社会に求められている理学療法士の基本的な役割は「日常生活のケア」ではなく「機能訓練」や「運動指導」であると私は思っている。
だから「理学療法士は基本的にオムツ交換をすべきではない」と主張する。
「オムツ交換」を状況に分けて詳しく考える
最後に、理学療法士が「オムツ交換」をする状況について整理し、それぞれそのときのオムツ交換を理学療法士がすべきかどうかについて考えてみる。
今、理学療法士はどういう状況のときに「オムツ交換」をしているのか。
おそらく以下の4つの状況に絞られると思う。
①日常的な病棟のオムツ交換時間に理学療法の時間が組み込まれているパターン。
制度問題:
業務として「しなければならない」となっている以上、目的が「ケア」のときもしなければならない。その場合は疾患別リハビリテーション料として単位を算定してはいけない。1日の単位ノルマが決まっていて患者さんに関わった時間は単位算定することを命令されているならばオムツ交換は理学療法士がすべきではない。
役割問題:
目的が「ケア」であっても、単位を取らずに理学療法士がオムツ交換するのは問題ない。ただし、その経営的なデメリットを「病院の方針」が了承しているか、またそれにより「機能訓練」や「動作練習」の時間が減ることを「患者・家族」から納得が得られているか、が問題でその二つの合意が得られていない限りオムツ交換は理学療法士がすべきではない。
➁理学療法の予定時間になり訪室すると、すでに汚れていたので理学療法士が交換するというパターン。
制度問題・役割問題:①と同じ。
この場合は出来るならば患者さんの順番を組み換え、病棟スタッフにオムツ交換を依頼するのが望ましい。
➂理学療法中に患者さんから「ごめん、出てしまった…。」と報告を受け理学療法士が交換するというケース。
制度問題・役割問題:①と同じ。
この場合は、オムツ交換を自らするもしくは病棟スタッフに依頼し、交換にかかった時間を算定に含めず「基本動作能力の回復」や「日常生活動作の実現」を目的とした理学療法を行った時間分だけ算定すべきである。(患者都合により中断したときの単位の取り方についての規定は曖昧らしいが…)
④理学療法士が評価や練習の必要があると判断して患者さんに説明してオムツ交換の練習をするというパターン。
制度問題:
目的が「評価」や「動作練習」のため疾患別リハビリテーション料を算定してもよい。また退院に向けて必要な評価・練習であるため理学療法士はオムツ交換をすべき。
役割問題:
算定できるできないに関わらず、理学療法士の役割(退院後の動作実現に向けた評価、動作練習)であるため理学療法士はオムツ交換をすべき。
以上、実際にあり得る4つの状況について、制度問題と役割問題を軸に理学療法士がオムツ交換をすべきかを考えてみた。
ほとんどの病院で理学療法士は単位ノルマがあり関わった時間算定することを命令されていると思うので、それを前提に考えるならば④の場合のみ理学療法士がオムツ交換をすべきという結論になる。
なので、私は「理学療法士は基本的にオムツ交換をすべきではない」と思っている。
まとめ
今回は理学療法士のオムツ交換問題について考えてみた。
論理立てて厳密に考えていくとこのような考え方になるが、実際の現場でこの考えを声高らかに主張すると、間違いなく嫌われる。
現実問題、病棟スタッフの人手は足りておらず、いつでも依頼すればすぐに対応できる状況にはない。そんな中「オムツ交換は看護師や介護士の役割なので今すぐお願いします!さあ!ほら!」の態度で依頼していては「激イタ勘違いクソ野郎」のあだ名を授かってしまう。
理想と現実、社会とは実に厳しい「理不尽ジャングル」なのだ。
一方、看護師さんや介護士さんもこの問題について、「少しでも人手が欲しい」という本音を隠して「リハビリの一部」などという無理筋な建前で主張してこないようにしていただきたい。
せめて交換した後のオムツを汚物室に捨てに行く場面に出くわしたら、「あ~すいません!ありがとうございます。」の一言くらい欲しいものである。
「オムツ交換は自分たちの仕事だけど、人手が足りなくて困ってるので助かります…ありがとうございます。」の誠意が伝われば、私はいくらでもオムツを交換するのだ。
今日もこの世のどこかでオムツ交換論争が繰り広げられている。
コメント
私は回復期で働く理学療法士です。
私もよくオムツ交換をします。
結論で書かれている「看護師からの一言」ここが1番の問題ですね
ちなみにですが、私らの病棟では配膳、面会、電話、ナースコールなどの対応もします。看護師はそれが当たり前になっているのが現状で「人手が足りない」の一点張り。業務の効率化を図る努力すらみられませんね。
ありがとうこざいます。
心中お察しいたします。
おっしゃる通り、ほんと「すいません…」の一言、誠意が伝わればいくらでもオムツ交換するんですよねぇ。
さすがに配膳やナースコールの対応はしていませんが。(笑)