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「患者さんのため」が絶対的ではない理由(仕事のバランス理論)

全理学療法士向け
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こんばんは、卵屋です。

PT 「患者さんに『売店で〇〇を買ってきて欲しい』と言われました。行ってきていいですか?」

PT 「担当患者さんが帰ったときにきちんと家に上がれるか心配なので退院の日に家についていこうと思います。」

PT 「私は特に問題ないと思うのですが、家族さんが見に来て欲しいといっているので家屋評価に行ってきます。」

PT 「患者さん、家族さんとの話が長引いて全然単位が取れませんでした。」

みなさんの職場でもこんな言葉をよく耳にしませんか?

「患者さんのため」は無敵かどうか、今回はそのあたりについて深く考えてみる。

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「患者さんのため」を前面に出すPT

理学療法士をしていると「患者(利用者)さんのため」という言葉をよく聞く。特に管理の立場では部下から「患者さんのため」という理由で様々な相談を受ける。

この「患者さんのため」は理学療法界、いや医療界では無敵の言葉。これを理由に話をすすめられると何人たりとも反対はできない風潮がある。

反対すると「医療従事者なのに患者さんのためになることを拒否するんだ」「お金儲けしか考えていない」など容赦ない批判の声が浴びせられる。

特に若手になるほどこの傾向は強い。

「患者さんの生活を良くするんだ!」と強い志と熱い気持ちを持って入職した若手PTにとって患者さんの訴えは絶対、それを拒否するなんて「この職場は患者さんのことを考えていないのか、患者さんよりお金儲けが優先なのか!」と鼻息を荒くする。何を隠そう私もそうだった。当時の管理職の皆さんには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

同じような若手PTに少しでも視野を広げてもらえたらという気持ちでこの記事を書かせていただく。

と同時に管理職陣営もこの問題に対するきちんとした「回答」を持っていない人が多いと感じる。

「これまでそうだったから」や「病院のルールだから」と部下に雑な説明をしている光景を目にする。それでは若手PTの気持ちは収まらない。「なんて酷い病院だ」で片付けられ不満の火種が消えることはない。

今回はなぜ、ときには「患者さんのため」を抑えなければならないのか、そのあたりについて整理してみる。

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「患者さんのため」が絶対的ではない理由

仕事の「バランス理論」

あらかじめ断っておくと「患者さんのため」を無視してよいとか、考える必要はないなどと極端なことを言うつもりはない。我々医療従事者は基本的に「患者さんのため」にその能力を発揮するべきであるし、そう社会から期待されている。

ただ、「どんな場面でも」「何があろうと」といった文言が入ってくると、そうとは限らない。つまり「患者さんのためになるからといって何でも受け入れるわけにはいかない」と言いたいわけだ。

それはなぜか?

その根底にあるものが今からお話しする「仕事のバランス理論」ある。(完全な私見・持論です)。

 

病院運営という事業においては大小無数の「仕事」が存在するが、長く事業を継続させようと思うと、全ての仕事に対して考えなければならない3つの視点があり、私はそれらのバランスをとることが組織で仕事をする上で最も重要なことだと考えている。

「仕事」における3つの視点について説明する。

  • 経営:その仕事でお金が稼げるかどうか。
  • 患者満足:その仕事で患者さんを満足させられるかどうか。
  • 職員満足:その仕事は職員が満足(納得)するかどうか。この視点の核となるのが「業務負担(業務量)」であり、業務量が少ないほど職員の満足度は高く、多いほど職員の不満が溜まりやすいと言える。

私はこの3つが「仕事」を捉える上での大事なステータスであり、この数値がトータルで高ければ高いほど良質な「仕事」であり、このような「仕事」が多いほど事業運営はうまくいくと考えている。

そしてここで最も重要な考え方がこれらの要素は基本的には「トレードオフ」の関係にあるという点だ。

「あちらを立てればこちらが立たず」と表現されるようにどれかを伸ばそうと思うとどれかは犠牲にしなければならない。基本的にはそんな関係だということだ。

仕事のバランス理論と「単位問題」

例を出して考えてみる。

例えば理学療法界で頻繁に話題に挙がる「単位問題」。

理学療法士間では「うちの病院では〇〇単位がノルマになっているのよね」なんて単位自慢がよくされることがある(なぜかノルマが多い方が誇る風潮にあるのが謎。笑)。制度上の一日上限単位は決まっているが、各病院によって一日のノルマが異なることからこういったやりとりが行われる訳だ。

さて「単位をとる」という仕事について、先ほどの3つの視点を考えてみる。

例えば一日18単位をとることと一日20単位をとることでどういう違いがあるのか。

ここでは分かりやすくするために、就業時間や給料は変わらないまま、これまで18単位を一日のノルマとしていた病院が何らかの理由で1日20単位を取る方針転換を図った場合にどういった変化が生じるのかを考えてみる(そんな強引な転換が現実的にあり得るかはさておき)。

前述の3つの視点のバランスはどう変化するのか?

  • 経営:単位を取るということは売り上げを上げるということである。そのためもちろん病院の経営的にはプラスに働く(それが職員の給料に反映されるかはまた別の話だが)。
  • 患者満足:リハビリ時間をたくさん提供できるという点ではプラスに働くかもしれない。一方でノルマが厳しく時間に追われる理学療法士に対して、患者さんが診療以外の(単位にならない)ことをお願いしにくくなり「あの人はすぐ『看護師さんに言ってください』ってちっともこっちの言うことをやってくれない」等と不満や苦情が出る可能性がある。あるいは時間がないことでコメディカル間での情報共有が不足し患者さんに不利益に働くことも考えられる。全部が全部とは言わないが理学療法士に時間的余裕がないことは、患者さんの満足度が下がる可能性が高いというのが現場の肌感覚である。ここではそんなプラスとマイナスを足し引きして「変化なし」としておく。
  • 職員満足:単位ノルマの増加ということはもちろん職員の業務量は増える。忙しい、疲れる、時間に追われイライラする。「労働者」という視点で考えたとき、単位ノルマが多い(増える)ことは百害あって一利なし、よほどのことがない限り嬉しく感じる職員はいない。言うまでもなく職員の満足度は下がる。

このような理由から一日18単位ノルマの病院が一日20単位ノルマに方針転換した場合は上図のような三角形に変化することが想定される。

「単位を多くとる」ということは、経営的にはプラスに働くが職員の満足度という視点からはマイナスになる。これが「トレードオフ」の関係という訳だ。

仕事のバランス理論と「患者さんのため」

では、今回のテーマ「患者さんのために」を何よりも優先させた場合はどうなるかを考える。

ここでは患者満足を向上させる例として冒頭にあったような「収益にはならないが患者さんの希望は全て聞き入れる」方針を取り入れた場合を考える。

  • 経営:収益にならないことも積極的にやっていくのだから経営的には当然マイナスに働く。
  • 患者満足:多くの希望が通る患者さんにとっての満足度は当然上がる。
  • 職員満足:職員は患者さんの希望に応えられるのだから(「熱い」スタッフほど)満足度は上がることが予想される。一方で患者さんの訴えや希望があまりにも多い場合は単位を取る以上に疲弊する可能性がある。そもそも「リハビリをする(単位をとる)」こと自体を患者さんから多く求められることも考えられる。ここではそんなプラスとマイナスで差し引きゼロとしておく。

「『患者さんのため』を何よりも優先する」ということは患者満足(あるいは職員満足)にとってはプラスに働くが、経営的にはマイナスに働く。当たり前のことだがこれが厳然たる事実・現実なのである。

なぜ「患者さんのため」が絶対的ではないか

前置きが長くなったが、ここからが本題。

なぜ「患者さんのため」が絶対的でないか?

先ほどの三角形のバランスのまま事業が長く継続されていった場合を考えてみる。

患者満足や職員満足が高いということはそこだけを切り取ると良いことのように聞こえる。病院として地域社会に貢献できており、さらに職員ものびのびと患者さんに「寄り添って」働ける、こんな良い病院はない、めでたしめでたし、そう感じるかもしれない。

一方、経営が悪い、つまり病院としてお金が稼げていないということはこの先事業が継続できない危険性を大いにはらんでいる。大きい法人であればすぐに倒産などということはないかもしれないが長期的にみるとジワジワと、そして確実にその影響が出始める。

病院の経営が悪い(赤字)

↓ (支出をおさえるか収入を増やすしかない)

職員の給料が減る、あるいは労働時間が増える

待遇に不満を持つ人が辞めていく

残った職員の負担が増える、業務が追い付かない

患者満足度が低下する

病院の評判が悪くなる

ますます経営が落ち込む

職員に給料が払えなくなる

事業が継続できなくなる…

 

極端に考えるとこういったことが起こりうる。

職員にとって単位ノルマが減ったり、患者さん最優先に仕事ができる、ということは「楽だ」し「やりがいがある」と感じるかもしれないが、組織全体を考えた場合は決してそれだけで済む問題ではないのである。組織で働く以上、基本的には「組織あっての個人」、組織自体が潰れてしまっては個人の満足もクソもないのである。

さらに言うと今まであった場所に病院自体がなくなってしまうと患者さんも困ってしまう。地域の医療を支えていた大事な建物がなくなってしまうと当然それまで通っていた患者さんにとってはマイナスである。極端な言い方をすると「患者さんのため」と思って進んだ方向が結果的に「患者さんを苦しめる」ことにつながる可能性があるのである。まったくもって皮肉な話。

これが「患者さんのため」に全てを振り切れない大きな理由である。

「なんだ、結局金儲けか!」と言われると「その通りです」としか言えない。

病院は「患者さんのため」に「お金を稼ぐ」こともしなければならない組織なのである。

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結局は仕事の「バランス」が大事

だから、だからこそ、前述した三角形のバランスをしっかりと保つことが何よりも大事なのである。

金儲けだけに振り切ってはいけないし、職員の業務負担も考えなければならないし、病院の本分である患者満足にも目を向けなければならない。全てはそれらの「バランス」なのである。

経営が大きく落ち込んでいるときには少々の職員満足、患者満足を犠牲にしてでも単位を多くとる必要が出てくる(前述の18単位→20単位の話も現実に受け入れなければならないかもしれない)。

逆に経営的に安定している組織では、一時的に職員の負担を減らす方向に舵を切る、今後を見据え教育に力を入れる、あるいは収益にならない患者満足度が上がるような取り組みを始める、そんな選択肢も検討に挙がる。

経営、職員満足、患者満足の全てが向上する業務改善や方針の転換があればそれに越したことはないが、事業の立ち上げ期でもない限り基本的にはそんなものは存在しない。何度も言うがこれらはトレードオフの関係であるということを認識すべきなのである。

また、この話は法人の上層部やリハビリテーション部の管理職だけが考えていれば良いものではない。現場の職員一人一人の理解が必要である。

職員は職場のルールやマニュアルに沿って仕事をするのが基本だが、完璧なルールなど存在せず日々マニュアルにないイレギュラーなことが発生し、その場その場を個人で判断しなければならない。

そんなときに職員一人一人が上記の三角形を意識し「自分の判断が大きく仕事のバランスを崩さないか」を考え行動する、これが組織として発展していくためのとてもとても重要なポイントなのである。

組織が大きくなるほど、現場の職員たちは自分たちの仕事が組織に与える影響が見えにくくなる。サラリーマンとして組織の歯車になる一方で、それぞれの歯車がどこをどう動かし、組織全体にどういう影響を及ぼすか、をしっかり考えておくことが重要なのである。

さらに、それを分かってもらうように教育、指導、管理するのが管理職の大切な務め。

「いいから単位を取れ!」だけでは決して現場はうまくまわっていかない。職員のやりがいやモチベーションを維持しつつ病院経営との両立を図ることが大事で、「患者さんのため」を却下するときには、管理者としての覚悟誠意のある説明が必要なのである。(本当に難しい…。)

まとめ

さてさて、今回は「患者さんのため」が絶対的でないことを示すために「仕事のバランス」について考えてみた。

我々理学療法士は病院機能の一部として「患者さんに理学療法を提供する」という役割を担っている。

一方で「病院経営」という側面からみると、「お金を稼ぐ」という重要な役割も担っている。資本主義社会の日本において事業を成り立たせるためには経営活動が必須で、患者さん(そして国)からお金をもらうことで病院の経営に貢献しているのである。

そのどちらも重要な役割で組織運営にとって欠かせない「仕事」なのである。

「患者さんのため」と一直線にやっている理学療法士にとっては耳障りな内容かもしれないが、サラリーマンとして組織から期待されている違う側面も知っておいて損はないだろう。

 

みなさんも一度、「仕事のバランス」について考えてみてはいかがでしょうか。

この記事を書いた人
卵屋

ブログ管理人、投稿者。
おっさん。回復期病棟で働く理学療法士。

普段から仕事や日常の出来事について熱く語り合っているおっさん達で「せっかくだから自分たちの考えを世の中に発信していこうぜ」とブログをはじめました。
おっさん達の発信が誰かの役に立てば幸いです。
よろしくお願いします。

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おっさん理学療法士はこう考える

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