こんばんは、卵屋です。
回復期PTは誰にマウントをとられやすいのか?
日々色んな人と関わっているとマウントをとろうとする人が多いことに気付く。
これは理学療法士(PT)に限った話ではないが、理学療法士も例外なくマウントをとりたがる。
私がよく見かけるのは、急性期PTが回復期PTに対してマウントをとる光景だ。
退院後に転倒して骨折して再入院したときに「なんで入院中にもっと〇〇していなかったの」とか「こういうところも考えておかないとだめじゃない」といった具合だ。
また、ときには訪問PTからの攻撃も受ける。回復期を退院してそのまま自法人の訪問リハビリにつないだ際に「なぜ退院までに〇〇していなかったの」といった具合で攻撃が始まるのだ。
そう、回復期の理学療法士は標的にされやすいのだ。
なぜ回復期PTはマウントをとられやすいのか?
回復期PTがマウントをとられやすい理由1
これはいくつかの理由があるが、そもそもの背景に回復期病棟は若い理学療法士が多いということが影響していると思う。
2022年現在、出来高でリハビリ算定が出来る回復期病棟は、人数が多ければ多いほど病棟としては儲かる理由からここ10年でうなぎ上りに若手の理学療法士が増えた。その上で患者さんに時間をかけて介入出来る点や、スタッフ人数が多いためチームで新人の指導ができることなどから、若手教育の場として一役買っている側面もある。このような背景から回復期病棟は他の部署と比べて経験年数が若くなりがちだ。
一方、急性期病棟や訪問リハビリは患者さん・利用者さんのリスクへの配慮から、どうしても経験年数は高めになりやすい。
その結果、年数マウントとでも言うのか、上から下へ攻撃が盛んになる。たとえどんな幼稚な意見に対しても言い返してはいけない社会の秩序がある。
回復期PTがマウントをとられやすい理由2
そして急性期・訪問マウントのもう一つの理由に、急性期病棟や訪問リハビリが回復期病棟でのリハビリの答え合わせ的な場になっている風潮があるからだ。
これはある意味では正しい。回復期病棟での関わりが、患者さん・利用者さんの退院後生活に大きな影響を与えているのは紛れもない事実だからだ。
すなわち転倒して骨折した場合、あるいは生活上の困難さがあった場合に「回復期病棟での関わりが悪いせいだ」という論理は一定の範囲で受け入れざるを得ない。
だからこそタチも悪い。言うならばこちらが解いた答案用紙に、解答を見ながら「あそこは間違い、こっちは正解」と答え合わせをされている感じがして気分が悪い。なんだかフェアじゃない。あなたたちが同じ問題を解いたときに答えを見ずに解けるの?と問いたくなる。何の話をしているんだ。マウントの話だった。
回復期PTへのマウントは正しいか?
さてさて、そんなモヤモヤした気持ちを持った回復期のPTの皆さんを代表して、大変僭越ながら回復期で働く私が精一杯の言い訳(反論)を述べさせていただく。回復期PTさんたちの熱い声援が聞こえてくる…。
の前に、急性期PTや訪問PTからのフィードバックは、本来とてもとても貴重な情報であるということは先に言っておく。自身のリハビリの振り返りをする意味ではこの上ない嬉しい情報である。いちいち腹を立てずに真摯に受け止め、良かった点・反省点などを振り返ることは、本来、自身を成長させ引いては患者さんに還元できるとても素晴らしい営みなのである。
ただ、そういったことを目的としない「攻撃」があまりに多いので素直に聞けなくなっている回復期PTが多いのもまた事実である。「貴重な情報・ご意見ありがとうございます」ではなく「はぁ、また嫌みか、めんどくさいなぁ…」と聞く耳を持たなくなっている若手PTたちが多く存在する。
その若手PTたちにいくら「素直に聞いて今後に活かせ!」と言ったところで心の奥底が納得していないのだから耳を傾けるはずもない。若手PTたちの気持ちを考慮した上で注意して声かけをして欲しいものだと諭したい。今回はそんな若手PTたちの気持ちを代弁する形で言い訳させていただく。
ここからは退院後に転倒・骨折した患者さんが再入院してきた状況を想定し、「なぜもっと〇〇しておかなかったの」とマウントを取ってくる急性期PTを例に言い訳してみる。
回復期PTマウントへの反論1
例え話をする。
さてさて、急に訳の分からない例えが出てきたと混乱するであろうか。あるいは「なるほど」とピーンときたであろうか。
リスクとリターンという視点からみると、上記のゲームと日常生活場面での活動の選択とは基本的には同じだと思っている。外れる可能性が高いけどもより高い賞金を得るために遠くの的を狙うのと、転倒リスクは高くなるけれど、楽しさや気持ち良さを求めて外出するのとは構造としては同じである。
そこへきてゲームに失敗したという事実だけをとって「悪」と決めつけ、それを指導した理学療法士に責任を押し付けるのはあまりに「短絡的」すぎやしませんか?と言いたい。
とどのつまり以前の記事でも書いたが理学療法士がいくら提案、進言したからといって患者さんがどういう生活を送るかは患者さんの自由である。何十年生活されてきた患者さんに、たった数か月関わっただけの理学療法士があーしろこーしろと偉そうに口出しするなんて失礼千万、無礼・非礼・小生意気、立場をわきまえるべきである。提案やアドバイスをしっかりとした上で、患者さん自身が判断して結果的に転倒・骨折してしまったのなら基本的には「仕方ない」。誰も悪くないのではないだろうか。
上記の例えで言うなら、Aさんが10m先の的を狙って外してしまった場面を見て、隣にいた別のPTがあなたに「何してるの。あなたのせいで患者さんは1000円没収されちゃったじゃない。」と言っているようなものだ。
何も「患者さんが悪い」と言いたい訳ではない。
「結果論で話をすすめ過ぎだ」と言いたいだけである。患者さんもPTも全力を尽くした結果失敗したならば「仕方なくありませんか?」と問いたいだけである。
患者さんは色々ある条件の中から自身の身体能力と得られる利益を天秤にかけて一つの動作を選択した。成功していれば(転倒しなければ)高いリターン(満足感や快感)が得られていた。その部分は考慮せずに失敗(転倒)した結果だけをみて話をすすめるのは物事をあまりに一側面からしか見ていないのではないだろうか。
もちろん担当者自身が振り返り「リスクを見誤っていなかっただろうか」「もっとこんな提案が出来たんじゃないだろうか」と考えることは称賛されるべきである。事実、そういう真面目な理学療法士達がほとんどである。けれども、外野が結果だけみて「なぜもっと〇〇しておかなかったの」と攻撃するのは、あまりに稚拙で恥ずかしい行為ではなかろうか。
その言葉はまるで「私なら患者さんをこう従わせたのに」と言っているようにすら聞こえる。そんなことを言われた日には「あなたはそれ以前に理学療法士の立場をきちんとわきまえるようにしてください」と言い返したくなる。
いかん、口が悪くなってきた。
私は理学療法士だった。
回復期PTマウントへの反論2
さらにもう一つ言い訳するならば、「100%を求めるのは現実的に不可能」というもの。
例えば先ほどのゲームで、元々のAさんの10m的の成功率は20%くらいだったとする。
そこでPTが指導をして成功率を40%に上げたとする。
指導により20%から40%へと2倍に成功率を上げているのでかなりの指導効果が得られてはいるが、それでも確率的には10回中4回しか成功しない。それなのに、その失敗部分だけをとって「もっと〇〇しておけばよかったじゃない」はまるで成功率を100%に上げる方法が存在するかのような口ぶりに聞こえやしないだろうか。
現実場面でも同じことが言え、患者さんの転倒しない率が100%になることなんてあり得ない。退院後にどういう動きをするかなんて結局のところ分からないし予測していた動きと違う動きをすることなんてざらにある。
あるいは入院中や退院した後も問題なくできていたのに、何気ないタイミングでふと転倒・骨折してしまうケースもざらにある。我々が何気ないところでつまずくこともあるのと同様、これといった理由もなくつまずき、転倒・骨折している患者さんも無数に存在するのである。
それなのに結果だけみて「なぜもっと〇〇しておかなかったの」は、まるで「私はどんなことでも完璧に予測し100%転倒を阻止できる、全知全能の神理学療法士!神理学療法士がここに来たわよ、さあ早くひれ伏しなさい!」と言っているようにすら聞こえる。
そんなことを言われた若手PT達は「何でも分かって凄いですね!!ところであなたを疎ましく思っている私の心はお気付きになさって?」と言い返してあげましょう。
むむ、口が悪くなっているぞ。
私は理学療法士なのだ。
回復期PTへマウントをとる目的
最後に、この問題に関して最も言いたいのが、「一体全体あなたたちがマウントを取る目的は何ですか?」だ。
何度も言うが本来、結果の振り返りとして訪問PTや急性期PTからフィードバックをもらうことはとても有意義なことなのである。そういった目的を両者が意識した上で建設的な話し合いがなされれば喜ばしいことなのだが、どうも片方がマウントをとりボコボコとパウンドをしかけてくるから三角絞めの一つでも食らわしてやりたくなる。
この方たちは表向きには若手PT達を「育てるため」、「気付きを与えるため」といったもっともらしいことを言う。しかし私には「俺たち私たちはここまで考えているのよ。凄いでしょう」「ここまで考えている俺たち私たちは君たちより上なんだよ」と示すことで快感を得ているようにしか思えない。マウントをとるという行為そのものが目的で、相手の成長など1ミリも考えていないことがにじみ出ているから痛々しく見える。
そもそもマウントをとるという行為が快感を得る目的以外で何か良い効果をもたらすことがあるのか、私には甚だ疑問である。若手PTの成長を願った行動だとするならば「本当にそんな言い方で素直に耳を傾けると思っているの?」と問いたくなる。もう少し大人な対応を心がけるべきではなかろうか。
本当に若手PTの気付きや成長の狙いを持ってフィードバックとして伝えたいときは「〇〇さんの関わりに問題があったとか言うつもりはまったくないんだけど」とか「気を悪くしたらごめんね」など一言挟むだけで若手PTの受け止め方は大きく変わるのではないだろうか。
近年話題になっている「マウント」行為。基本的には褒められた行為ではない。組織の調和を保つ観点から見てもマイナスに働きこそすれプラスに働くことはまずない。マウントを取られた人の気持ちを考えると自分がされているわけでもないのに腹が立ってしまう。
積極的に意見を交換し議論をすること自体はとても良いことなだけにそういった場面をみるともったいなく感じてしまう。
皆さんのまわりはいかがでしょうか?
理学療法界からマウント行為がなくなることを心から願う30代のおっさん理学療法士なのでした。
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