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読みもの①「苦手な患者」

全理学療法士向け
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白い巨塔の末端で、私たち理学療法士は「動かない身体」を相手に格闘している。

だが正直に言おう。本当に格闘しているのは肉体ではなくその後ろに潜んでいる「人間」そのものだ。

医者がメスを振るい、薬剤師が化学式を調合するように、私たちは「運動」という処方箋を出す。

しかし、この「薬」には致命的な欠陥がある。

患者本人が「飲もう」と決意し、実際に喉を通さなければ一滴の効き目もないということだ。

理学療法士を十数年も続けていれば、誰にだって「苦手な患者」の一人や二人はいる。

いや、もっと正直になれば、カルテの名前を見ただけで心が重くなるような相手が常に数名はリストアップされているのが現実だ。

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「治りたくない」という謎

一番手強いのは意外にも「痛みや不調を訴え続ける人」ではない。

「治りたくない人」だ。

もちろん口では「早く歩けるようになりたい」「元の生活に戻りたい」と言う。だがベッドから出る気配はなく、手を変え品を変え必死に声掛けをしても「しんどい」の四文字で片付けられる。

彼らにとって病気や怪我は人生の「免罪符」になっていることがある。

病気でいれば、誰かが優しくしてくれる。動かなくて済む。家族に文句を言われずに済む。

理学療法という舞台の上で、彼らは「頑張っているけれど報われない悲劇の主人公」を演じ続ける。

私たち理学療法士はその舞台の共演者としてキャスティングされているわけだ。それも「一所懸命に指導するが結局は無力な脇役」という屈辱的な役回りである。

こういう患者を前にすると、こちらの情熱は空回りし、筋肉の起始・停止を考える脳細胞は次第に麻痺してくる。

科学的根拠(エビデンス)に基づいたアプローチが、相手の「現状維持」という強固な意志の前に音を立てて崩れ去る瞬間だ。

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知識武装をした抵抗者

次に厄介なのが、情報の海に溺れ知識という名の鎧をガチガチに固めた「インテリ患者」だ。

彼らはリハビリの最中、こちらの知識・技術を常に品定めしている。

「先生、ネットの記事でこの筋トレは膝に負担がかかるって書いてありましたけど?」
「電気刺激がいいって聞いたんですけどここではやらないんですか?」
「その手技はエビデンスレベルで言うとどれくらいなんですか?」

質問は結構。だが、彼らの目的は理解を深めることではなく、私たちの主導権を奪うことにある。

理学療法とは、一種の身体的コミュニケーションだ。

信頼して心と体を預けてもらわなければ、こちらのパフォーマンスも発揮できない。また疑念に満ちた身体は驚くほど柔軟性を失う。不必要な痛みも出れば、良質な運動学習効果も期待できなくなる。

彼らは理詰めで身体を動かそうとするが、身体というのはもっと原始的で、わがままなものだ。頭でっかちになった患者の身体は、こちらの理論的正当性を拒絶するようにぎこちない動きに終始する。

こういう時、私は自分の知識の浅さを突きつけられているような気分になり、思わず苦笑いするしかない。

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「苦手」の正体

だが、ふと立ち止まって考えてみる。

なぜ私は彼らを「苦手」だと感じるのか。

それは彼らが「理学療法士としての僕の有能感」を脅かす存在だからではないか。

  • 指示に従わない患者は、私の指導力のなさを露呈させる。

  • 質問ばかりの患者は、私の知識の限界を突きつける。

  • 治らない患者は、私の技術の無力さを証明する。

結局のところ私が「苦手」だと思っているのは、患者の性格でも疾患でもない。彼らの前に立った時に露わになる、自分自身の「器の小ささ」なのだ。

リハビリテーションの現場は、聖人君子が集う場所ではない。

エゴとエゴがぶつかり合い、汗と溜息が混じり合う泥臭い現場だ。だからこそ、教科書通りの「理想的な患者」なんてものは幻想に過ぎない。

諦めという名の受容

最近、私は「苦手な患者」に対して、一つだけ決めていることがある。それは「彼らを変えようとするのを止める」ことだ。

歩きたくない人に歩けと強要するのは理学療法ではない。それはただの暴力だ。

私にできるのは、彼らに「もし明日ちょっとだけ気が変わったら、ベッドから起きましょうね」と、心で呼びかけながら淡々と関節を動かし筋肉をほぐすだけ。物理的な準備を整えておくことだけだ。

期待を捨て、評価を捨て、ただ目の前の肉体と対話する。すると不思議なことに、あんなに硬かった筋肉が、ふっと緩む瞬間がある。

こちらの「治してやろう」という傲慢な力が抜けた時、患者の側も「抵抗する理由」を失うのかもしれない。

理学療法士という職業は、因果な商売だ。

「苦手な患者」こそが、私たちにとって最大の教師であり、私たちの専門職としてのプライドを粉々に打ち砕き再構築してくれる唯一の存在なのだから。

今日もまたリハビリ室のドアが開く。

あのおっくうそうな顔、あの疑り深い眼差し。

私は深呼吸をひとつして心の中で「お手柔らかに」とつぶやきながら白いコートの襟を正す。

戦場ではなく、対話の場へ向かうために。

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