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読みもの④「白衣を着た便利屋」

全理学療法士向け
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病院という場所は巨大な客船のようなものだ。

船長は医師、一等航海士は看護師。我々理学療法士は、さしずめ機関室で汗をかく裏方といったところか。

だが、この船はどうもおかしい。

目的地である「退院」という港が見えてきているのに、肝心の操舵室に誰もいないのだ。

「先生、○号室の田中さん、思ったより伸び悩んでいて、当初予定していた退院時期に間に合いそうになくて…退院時期を遅らせるか、住宅改修などで生活環境を整えないと…」

ナースステーションにいた担当医に声をかける。だが、彼はカルテから目を離さずこう答える。

「ああ、リハビリの方で適当にやっといて。医学的に問題なければ僕はいつでもいいから」

適当に、だと? 冗談ではない。退院は「医学的に問題ない」だけで成立するものではないのだ。

本人・家族の覚悟一つ、手すりの位置一つで、せっかく繋ぎ止めた命がまた救急車で逆戻りすることになる。それをわかっていないのか、あるいはわかっていて面倒を押し付けているのか…。

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孤独な根回し

看護師たちのステーションに足を向ければ、今度は熱意の壁にぶつかる。

「退院調整? 私わからないわよ、ソーシャルワーカーさんに聞いてみてよ。ごめん、忙しいから」

彼女たちの言い分もわかる。人手不足、煩雑な業務。

だが患者さんの「生活」を一番近くで見ているはずの彼女たちが、その生活への橋渡しに無関心なのは、どうにも納得がいかない。

結局、泥をかぶるのは我々リハビリ職種だ。

私は医師に「リハビリの進捗上、この時期がベストだと思いますが」と上申し、看護師には「家族への連絡はこっちでしておきますので」と頭を下げる。

ケアマネジャーに電話をかけ、住宅改修業者と打ち合わせ、家族の愚痴を聞く。

立場上、決定権はない。

あくまで「一介の療法士」として各所に頭を下げて回る「根回し」の日々。これを「チーム医療」と呼ぶのなら、辞書を書き直したほうがいい。

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「先生、私はいつ帰れるの?」

そんな奮闘を患者さんは知らない。

リハビリ室の平行棒の間で、患者の田中さんは私の顔を覗き込み、祈るような声で聞いてくる。

「先生、私の怪我はどうなってるの?手術はうまくいったんでしょう?なんでまだ痛いの? 先生(医師)は何も教えてくれないし。いつになったら家に帰れるのかしら…」

心臓がチクリと痛む。

私はあなたの病状の詳細は話せない。診断を下すのは医師の専売特許だ。

退院の日付を約束することもできない。それは病院という組織の「決定事項」だからだ。

「……田中さん、よく歩けていますよ。一所懸命リハビリに取り組まれている成果です。先生もリハビリの様子は見てくれています。お家へ帰る準備は私がしっかり進めておきますからね」

精一杯の笑顔で答える。嘘ではないが、真実でもない。

本来ならその言葉は主治医の口から、あるいは常に寄り添う看護師の口から語られるべきものだ。

なぜ患者と最も長い時間を過ごし、その震える手を取っている我々が、言葉を選んで沈黙を守らなければならないのか。

医者は病気を診るが、人は見ない。

看護師は処置をするが、生活は見ない。

リハビリ職はそのこぼれ落ちた「人間」のすべてを拾い集め泥臭く形を整えていく。

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救われない情熱と、わずかな矜持

今日も予定されていたカンファレンスは医師の「急用」で流れた。

私は溜まりに溜まった書類を抱え薄暗くなったリハビリ室でパソコンを叩く。

「やってられないな…」 独り言が漏れる。

誰も見ていない、誰も評価してくれない。

退院調整がスムーズにいけば「医師の判断が良かった」ことになり、トラブルが起きれば「リハビリの詰めが甘い」と責められる。

だが、明日も私は田中さんの手を取る。そして 医師が興味を示さない「廊下の歩行スピード」に一喜一憂し、看護師が気づかない「靴下の履きにくさ」を解消するために、また各所に頭を下げて回るのだ。

暗いリハビリ室の片隅で、溜まった計画書を静かに書き進める。

理学療法士とは、なんと滑稽で、なんと不憫な職業だろうか。 そして、なんと誇り高い「便利屋」だろうか。

この巨大な船を動かしているのは、華やかな号令を飛ばすブリッジの面々だけではない。見えない場所で錆びたボルトを締め直し、油にまみれてエンジンを回し続ける、我々のような裏方の手触りがあってこそ、船は目的地へと進む。

その「名もなき操舵」に自負を感じながら、私は静まり返った病院を後にする。

夜風が、火照った頭に心地よかった。

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