なめろうです。
あちこちで議論されているだろう
訪問リハの終了(卒業)
このテーマに回答するにあたり多面的な視点(理学療法士視点、利用者視点、経営者視点、政治的視点)があり、絶対的な答えはないですが、私の結論を先に言っておくと、
対象者(家族含め)が望み、仕事として成立しているのであれば、終了しなくても良い
です。
今回は、なぜこの結論になったかを、私なりにつらつらと書いていきます。
“終了しなくても良い”とする理由
理学療法士の役割から考える
まずは、理学療法士は社会的にどういう役割を担う職種なのかを考えていきます。
私なりの考えを端的に表現すると「理学療法士の役割は、対象者の活動を最大限の状態にし続けること」です。
最大限かどうかを証明する手段はないので、役割の全う度を数値化することはできませんが、ここが理学療法士の“根っこ”だと考えています。
ここが根っこだと考えているので、終了してから対象者の活動が低下していくのであれば、それは役割を十分に果たせていないことだと捉えております。
人間は怠け者であり、面倒くさがり屋である
終了を判断するタイミングは、目標を達成していたり、介入できる問題点がない状況かと思います。だから、終了とした。
確かに理屈は通っていますが、はたして、その人は終了した以降も活動を維持できるようでしょうか。
私は難しいと考えています。
それは、人間は本質的に“怠け者”であり、“面倒くさがり屋”だと考えているからです。
頭では活動することが大事だとわかっていても、活動を継続できない。
それはごくごく当たり前なことであり、否定できることではありません。
では、絶対に人間は活動し続けることができないのでしょうか。
私は、そうではないと考えています。
活動を続けるためのポイントは“何かに依存すること”です。
依存と聞くとマイナスなイメージを抱くかもしれませんが、過度に依存することで生活に支障をきたすことが悪いのであって、依存することは決して悪いことではありません。
依存とは「他に頼って在ること、生きること」であり、私も色んなことに依存して生きています。
自分で食べ物を作ることも調理することもできないから、レストランでご飯を食べる。これも依存の1つです。
長年トレーナーのいるジムに通い続けて、体型をキープしている人。これも、トレーナーやジムに依存することで、体型をキープできているわけです。
私は仕事以外、あまり活動することがないのですが、仕事という役割に依存していることで、私は活動を続けていると捉えることもできます。(役割に依存という表現は聞いたことがありませんが。。。)
何が言いたいかというと、人間生きていく上で“適度に依存することは大事”ということです。
我々が対象としている方も、もりろん適度に依存することは大事です。
我々の対象者は高齢や障がいという要素がある方で、活動に対する制限がかかりやすいという面や役割を持ちにくい面から考えると、依存することの必要性が高くなりやすいです。
そう考えると、理学療法士などの社会資源に多く依存してでも、活動を継続できる状況にすることは有りだと考えます。
依存するのは理学療法士でないといけないのか
先ほど、社会資源に依存は有りと書きましたが、活動に焦点を当てたときの依存先としての訪問理学療法士というのはどうなのでしょうか。
私の結論から言うと、当然、有りです。
なぜか。
訪問理学療法士は、活動を低下させるきかっけに気付きやすい職種だからです。
活動を低下させるきっかけというのは、大きく“生活面” “医学面”の2つがあります。
~生活面の例~
- 介護に献身的な家族が体調を崩し、一緒に付き合っていた散歩ができなくなった
- 近所に引っ越すこととなったが、転居先の環境的に屋内の活動範囲が狭くなった
~医学面の例~
- 普段しないような活動(旅行など)をして、足を痛めて、活動量が減った
- 持病の心不全の状態が徐々に悪化していき、動けなくなった。
これは、ほんの一例ですが、訪問理学療法士は、生活面と医学面の両方の視点がある職種なので、他の職種(デイやヘルパーなど)に比べても、どちらのきっかけにも気付きやすい特性があります。
ただ、訪問理学療法士だけで介入していれば良いと言いたいわけではありません。
デイは訪問理学療法士に比べて直接的な活動を提供できますし、ベースになる生活を支援しているヘルパーがなくなると、活動すらできなくなることもあるので、どの社会資源も活動を継続するにあたり大事になってきます。
まとめ
冒頭で対象者(家族含め)が望み、仕事として成立しているのであれば、終了しなくても良いというのが私の結論でしたが、今回はそのうちの終了しなくても良いという部分の理由についてつらつら書きました。
終了しなくても良いという考えの私ですが、10年近い訪問歴の中で、終了に至ったケースはもちろんあります。
そのケースに対して納得言っていないかというと、そうではありません。
次回は、訪問理学療法士以外の視点から、対象者(家族含め)が望み、仕事として成立しているのであればの部分に焦点をあてた私見をつらつら書こうと思っておりますので、どうぞよろしくお願いします。
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