夕暮れのリハビリテーション室。
窓から差し込む斜光がプラットフォームの上の埃をキラキラと躍らせている。
その穏やかな風景とは裏腹に、私の耳には隣のベッドからなんとも形容しがたい「もどかしい会話」が流れ込んできていた。
「いいか河野、もっとこう……患者さんの麻痺側の手のひらからメッセージを受け取るんだ。単に動かすんじゃない。ボバースの本質は、脳と手の『対話』なんだよ」
5年目の先輩、佐藤が入職したての新人・河野に熱弁を振るっている。
佐藤は重度の片麻痺患者さんの手を、まるで壊れやすい宝物でも愛でるように両手で包み込んでいた。
私は隣で大腿骨頸部骨折術後の患者さんの筋力トレーニングを指導しながら、心の中で小さく溜息をつく。
理学療法は科学である。私はそう信じている。
バイオメカニクス、運動生理学、そして何より客観的なデータと再現性。それこそが、私たちが患者の身体を預かる上での「誠実さ」の拠り所だ。
だが佐藤の言葉にはその「科学」の断片すら見当たらない。
逃げ道
「……あの、佐藤さん。今のハンドリングで具体的にどの筋群の緊張を抑制しているんでしょうか?あと、この介入の根拠というか、何か指標になる論文とかがあれば教えていただきたいのですが……」
河野が教科書通りの、実にもっともな質問を投げかけた。一瞬、佐藤の動きが止まる。
「論文、か……。まあ、エビデンスが大事なのはわかってるよ。今の時代、無視できないしな。でもさ、河野。ボバースっていうのは、そういう……なんて言うかな、数字や文字でパキッと割り切れるもんじゃないんだよ」
佐藤は少し視線を泳がせながら言葉を濁した。
彼は知っているのだ。ボバース概念が、現代の厳しいエビデンス(科学的根拠)の物差しで測ったときに、いかに「証明」が難しい立場にあるかを。だが、彼はそれを認めることができない。自分が信じ、週末の貴重な時間と大金を注ぎ込んできた「神秘的な手技」を、ただのプラセボやリラクゼーションに分類されたくないのだ。
「理論を言葉にするのは難しい。でも反応を追っていけばわかる。ほら、今、患者さんのトーン(筋緊張)がフワッと抜けたのがわかるか?これだよ、これ。これが答えなんだ」
佐藤は答えを「自分の指先の感覚」というブラックボックスの中に隠してしまった。それは、科学の敗北を認める代わりに、自分たちだけにしか見えない「聖域」を作る行為だ。
純粋な善意
何より見ていて辛いのは、佐藤が心底「河野のためになる」と信じて、このあやふやな指導を強行していることだ。
「俺も1年目のときは苦労したんだ。でも、このハンドリングを覚えてから患者さんの反応が変わった。お前にもその喜びを味わってほしいんだよ。俺がついてるから怖がらずに『感じて』みろ」
佐藤の顔は慈愛に満ちている。後輩を一人前にしてやりたいという、一点の曇りもない善意。
しかし、その善意こそが河野にとっては最も逃げ場のない「呪い」になる。
「エビデンスが希薄な、言語化できない主観的な手技」を、信頼する(あるいは逆らえない)先輩から「お前のための宝物」として手渡される。受け取らないわけにはいかない。でも、理系的な思考を持つ河野の脳内では、論理の拒絶反応が起きている。
先輩という立場を利用して自分の曖昧な信仰を、後輩の真っ白なキャリアに塗りつけていく。その無自覚な暴力性が夕闇のリハ室で静かに、そして痛々しく増殖していた。
善意に満ちた「毒」
リハビリテーション室の時計の針は、定時を少し過ぎたところで止まっているように見えた。
佐藤は満足げに患者の腕をプラットフォームに置くと、河野の肩を親しく叩いた。その手つきには、後輩を導く「良き師」としての矜持が溢れている。
「どうだ河野、少しは『見えて』きたか?」
河野は糊のきいた白衣のポケットの中で、小さく拳を握りしめていた。
そのポケットには、昨夜遅くまで読み込んだ最新の診療ガイドラインのコピーが、四つ折りにされて突っ込まれている。そこには、脳卒中後の上肢機能訓練における反復療法の有効性が、冷徹なまでの有意差とともに記されていた。
「……すみません、佐藤さん。僕が未熟なせいだと思うんですが、今の変化が患者さんの機能予後にどう影響するのかが、どうしても分からなくて」
河野の言葉は、精一杯の敬意を払った「抵抗」だった。しかし、佐藤の耳にはそれはただの「迷える羊の鳴き声」にしか聞こえない。
「お前は真面目だな。でもな河野、ボバースっていうのは、もっとこう……「反応」そのものなんだよ。論文に書いてあるのは死んだデータだ。目の前の患者さんの脳が今何を求めているか。その反応を手のひらで感じる。これができるようになれば、お前はもう一段階上のステージに行けるんだよ」
佐藤は慈愛に満ちた眼差しで河野を見つめた。
彼は本当に心の底からそう信じている。自分が苦労して手に入れた(と信じている)「聖域」の鍵を、期待した後輩に惜しみなく分け与えようとしているのだ。その「善意」には、一欠片の悪意も欺瞞も混じっていない。
だが、その濁りのない善意こそが最も厄介な毒となる。
佐藤は言葉を続ける。エビデンスという単語が出るたびに、彼はそれを「大事だ」と肯定しつつも、巧妙に、あるいは無意識に議論の土俵を「個人の感性」という霧の中へとずらしていく。
「エビデンスも大事だよ。でも、それに縛られすぎて、目の前の『変化』を見逃したら本末転倒だろ? 俺が教えてるのは、もっと…そう、根本的な、臨床のリアルなんだ」
佐藤は、自分の言葉が足りないことを「思慮の深さ」の裏返しだと思い込んでいる。科学の言葉で説明できないもどかしさを、修行が足りない後輩への「宿題」へとすり替える。
河野はその霧の中で窒息しそうになっていた。自分が学んできたバイオメカニクスや運動生理学が、先輩の「手のひらの感覚」というポエムに上書きされていく。抵抗すれば「感性がない」と断じられ、受け入れれば、自分もまた「科学」を捨てた住人になってしまう。
「じゃあ、次は起立動作のハンドリングだ。脳の『重力に対する認識』を書き換えるんだ。これもまたコツがあるんだ」
佐藤の熱を帯びた声が誰もいなくなったフロアに響く。
彼は河野が抱える静かな絶望に気づかない。自分が後輩のキャリアに、主観という名の取れない汚れを塗りつけていることにも気づかない。
善意の悪党
窓の外では、夜の帷が完全に下りていた。
蛍光灯の下、佐藤の熱心な指導は続く。それは、客観性という名の唯一の羅針盤を捨て去り、自分の「勘」という名の穴の空いたバケツで必死に水を掻き出す、孤独で、そしてひどく痛々しい航海のように見えた。
河野は、力なく「……はい」と答えた。その声は、換気扇の回る単調な音に、あっけなく吸い込まれて消えていった。
理学療法は、泥臭い科学だ。一足飛びの奇跡などない。1ミリの可動域を広げるために、何百回もの仮説検証を繰り返す孤独な作業だ。だが佐藤はそれを「魔法」にすり替えた。そして、その魔法の杖を期待した後輩の手に無理やり握らせようとしている。
科学の言葉を捨て、自分の感覚という名の「霧」の中に逃げ込んだ男。 彼は自分が患者を救っていると信じている。自分が後輩を育てていると信じている。その一点の曇りもない瞳こそが、何よりも残酷な凶器だった。
夜のリハビリ室。蛍光灯の下で熱心に語り続ける佐藤の影が、プラットフォームの上に長く、歪んで伸びている。それは無自覚に若き才能を侵食していく、紛れもない「悪党」の姿だった。






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