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~新人・若手療法士向け~ 臨床推論における”仮説”について考える

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前回のブログでは、CAST studyという循環器領域で有名な論文を用いて、検証の必要性について述べた。

 

CAST studyの内容は前回のブログを参照して頂きたいのだが、簡単に説明すると、心筋梗塞後の不整脈死予防のために抗不整脈薬を投与したところ、抗不整脈薬を投与した方が死亡率が高くなったというものだ。

 

心筋梗塞後に不整脈死が一定の割合存在するのであれば薬で不整脈を抑えると不整脈死が減るよね!という至極当然の推論に基づいた結果、実際の臨床場面では全く逆の結果になってしまったという、かなりインパクトのある研究結果である。

 

この結果に付随して、前回のブログでは理論的に正しくても実際の臨床現場ではそうはいかないケースもあるとして、”検証”の必要性について言及した。

 

臨床場面での検証とは臨床研究の実施に他ならないが、臨床研究まではいかなくとも普段の臨床業務においてもうまく用いることができれば、臨床推論のレベルは向上する。

 

というわけで、今回から数回に分けて、臨床推論の質を高めるための”仮説設定””仮説検証”について、私の私見にはなるが実際の臨床場面を想定して説明していきたいと思う。

 

まずは概論的な話として、今回は仮説について私の考えを述べていこうと思う。

 

 

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”仮説”について考えてみる

“仮説”
自然科学その他で、一定の現象を統一的に説明しうるように設けた仮定。ここから理論的に導きだした結果が観察・計算・実験などで検証されると、仮説の域を脱して一定の限界内で妥当する法則や理論となる。                                        広辞苑より

一定の現象を統一的に説明しうるように設けた仮定 というところがポイントである。

 

では、理学療法プロセスにおける“仮説”について考えてみる。

以下は、一般的な理学療法プロセスになる。

 

この場合、情報収集~統合と解釈・考察において仮説を設定し、その仮説について再評価で検証する。

 

前回のブログで示したものをもう一度提示する。

この場合においては、大腿四頭筋の筋力低下があって膝折れがでるのであれば、筋力訓練にて膝折れがなくなるといったものが仮説になる。

 

情報収集と検査測定にて対象者のもつ様々な情報を収集し、統合と解釈にて問題点を抽出し治療プログラムを考える。

この一連の過程全てが仮説設定のプロセスと言っても過言ではない。

(この辺りの詳細については、当ブログの管理人である卵屋のブログを参照頂きたい)

 

そして、その仮説に基づいた治療介入を行い、その結果を再評価にて検証する。

つまり、理学療法プロセスの一連の流れが仮説設定-仮説検証そのものであると言える。

 

・・・何をいまさらといった声が聞こえてきそうだ。

 

 

というのも、理学療法士の養成課程を通った方であれば、これらの考え方は臨床実習においてある程度経験済みであり、単に仮説設定仮説検証と名称を変えただけに過ぎないからだ。

 

ただ私としては、この”仮説”という言葉を用いることが、ものすごく重要であると考えている。

 

例えば先輩が後輩に対して、または実習指導者が実習生に対して、評価の浅さを指摘することがある。

それ自体については大きな問題は無いし重要ではあるものの、後輩や実習生などの評価が間違っている前提での指摘も散見される。

逆に自身が行った評価~介入方法の設定に関して、それが正しいという前提においてリハビリテーション介入を進めている人もいる。これはある意味、すごい療法士である。

これらは一見異なるものの様に思うが、背景に共通している部分がある。

 

それは、評価の結果についてかの二元論で考えているところだ。

この二元論での考えは、メリットよりもデメリットが大きい。

 

他者の意見を偽と断罪することは置いといたとして、自身の意見に自信を持つことは良いことの様にも思う。

ただ、もしその意見が間違っていた場合に、果たして間違っていたと素直に認められるのだろうか。ほとんどの人間は無理だろう。

本当は偽なのに真と考えてしまい、様々な判断がこの認識一つで歪んでいってしまう。

 

これが、真か偽かの二元論で考えることの一番のデメリットがあると考える。

そして、これを防ぐために重要な概念こそ”仮説”である。

という訳で、次は”仮説”で考える強みについて述べていく。

 

 

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仮説の強み

私のバイブル本のひとつに、「99.9%は仮説 思い込みで判断しないための考え方」がある。


99・9%は仮説~思いこみで判断しないための考え方~ (光文社新書)

著者は情報番組のコメンテーターとしても活躍されている竹内薫氏である。

題名からも分かる通り、世の中のほとんど全てが仮説であるというものであり、飛行機が飛んでいる原理はよくわかっていないや、地球温暖化に二酸化炭素が関与していることも証明されていないといったことを取り上げ仮説について語っている。

 

とまあ99.9%は仮説というのは、ややセンセーショナルであり言いすぎな印象はあるが、この本で言いたいこととしては、

「世の中のメカニズムは十分に解明されていない。ゆえに現在定説であるとされていることも、いつか異説になるかもしれない。」

といったものだと思われる。

 

特に我々が携わる医学においては、自然科学よりも不明確なものが多く、例えば麻酔についても実はなぜ効くかわかっていないそうだ。前回のCAST studyについても同様のことが言えるかもしれない。

 

上記については、大規模な研究を行って医学として確立されているレベルの話でもある。
そう考えると、療法士が行った評価について、その結果が”正しい”と判断することがいかに滑稽であるかおわかりだろう。

 

では真か偽かではなく、”仮説”という概念を用いることがどういった効果をもたらすのか。

冒頭にもあるように、仮説とは「一定の現象を統一的に説明しうるように設けた仮定」であり、真と偽の間に存在する概念とも言える。仮説という概念を加えることよって、この真と偽の間のファジーな部分を意識することができる。これこそ、仮説の強みであると考える。

 

そして、ただ仮説と一括りに考えるのではなく、その仮説が真に近いのか、もしくは偽に近いのか、いわば仮説のグラデーションを意識できると、後輩の意見だろうが実習生の意見だろうが、はたまた先輩や巷で話題の療法士であっても、客観的に判断することができる。

 

また、はなから”仮説”であると考えていれば、それが覆されたとしても素直に軌道修正しやすくなるし、その結果から新たな”仮説”を生み出すことも可能となる。

 

我々療法士の評価や介入効果については、真偽はなくあくまで仮説である。

 

ただそれらにもグラデーションがあるため、限りなく真に近い仮説にするためには、質の高い検査や統合と解釈を行っていく必要がある。それが”仮説設定”において重要な点のひとつである。

 

 

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まとめ

臨床推論の質を高めるという目標のもと、今回は仮説について述べてみた。

 

私も昔は何が正しくて何が間違っているのか?みたいな感じで思考が崩壊しそうなことがあったが、この”仮説”で考えることを知ってから、物事を冷静に見れるようになったと思う。

同じような悩みを臨床現場で抱えている方がいれば、”仮説”という概念を頭にインプットして頂くことをお勧めする。

 

今回は”仮説”についての話であった。本筋としては仮説設定仮説検証であるため、次回はこの両者について、より各論的な話をしていけたらと思う。

 

 

少しでも参考になれば、またブログを見に来て頂きたい。

 

”自分の評価や治療に自信満々の人って、マサラタウンのピカチュウぐらい存在してるよね”
(´-`).。oO

この記事を書いた人
りゅうぞう

生理学好きのギャンブラーPT
経済と投資について勉強中!!

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